■[第356回] 新潟県民 −H16.11.30(火)−
昨日、震災後初めて長岡や小千谷を見ました。
と言っても、高速道路を通っただけなのですが・・・。
行きも帰りも道路工事を頑張ってやっている姿が見れました。
道路はかなりアスファルトを部分毎に作っているからなのか、けっこう段差があり、ぴょこぴょこと軽く縦に揺れながら運転していました。
二週間ほど前に通った同乗者曰く、それでも大分良くなったそうです。
あれを見ると、「やっぱり中越地震ってすごかったんだなあ」と思いますね。
どうも新潟市に住んでいると、何だかテレビの中の話の様で今ひとつ実感が湧かなかったのですが、あれだけ長い区間を工事するという事は、相当地割れが酷かったのでしょうねえ。
ただ、何故か高速道路から眺めた限りでは、被害にあったと思われる建物などは見掛けませんでした。
一つだけ落ちている看板がありましたが、かなり古い看板でしたので、地震で落ちたのか、老朽化しておちたのかは不明です。
東京で友人にも会ったのですが、やはり「新潟市は大丈夫だった?」と聞かれ、いつもの如く「何事も無くまったくもって申し訳ありません」という思いで「有難う御座います」と返答しておきました。
そう言えば、誰から聞いたのか忘れてしまいましたが、新潟の被災者に食料(パンなど)を救援物資を持って行き渡したところ、被災者から「いくらですか?」と聞かれたそうです。
そして、「もちろんタダですよ。被災されたのですから」と話したところ、「いえ申し訳ないのでお金を払います」と言われたそうです。
この話を聞いて、こんな時だけ都合よく言ってしまいますが、同じ新潟県民として大変嬉しくなりました。
本当に立派ですよね!
「被災したんだから○○してくれて当たり前だ!」という感覚ではない。
それと、地震の翌々日くらいにテレビのレポーターが長岡の避難所にきた被災者に「大変ですねえ。何か困っている事は無いですか?」、「何か足りないものは無いですか?」と気の毒そうな顔をして聞いたところ、インタビューされた被災者は普通の顔で「いや別に。皆さんから色々頂いていますし、足りないものがあっても外に出れば買えるからねえ」と言って、後ろからちょっかいを出してきた子供と戯れたりしている映像がありました。
そのレポーターの「もっと困ってくれないと、こちらが困るんだけど」という困惑顔が印象的でしたが、それを見た時も「新潟県民は立派だなあ」、「自然災害慣れしているなあ」と思いました。
司馬遼太郎の「峠」の書き出しも、こんな感じです。
長岡で雪の季節が来ると、みんながいそいそと大雪に備えて準備を始めます。
南国であればこんな苦労はしなくて良いものを、北国であるから冬に備える大仕事をしなくてはならない。
しかも、毎年必ずのことであり、それに対して誰も「北国は損だ」とは思っていない。
これは司馬遼太郎が大阪出身のため、北国を見てきっとそう思っていたのでしょう。
自然に対しての備えが大して必要も無く、無駄な手間も無い。
そういう恵まれた?ところに住んでいる人達から見れば、「北国は損」に見えます。
しかし、北国の人達にとってみれば、当たり前の事であり、「季節変わるな!」、「雪降るな!」と言っても意味が無い事が、よく分かっているのだと思います。
今回の地震も自然による災害です。
決して、日本政府の愚かな防衛策により北朝鮮からミサイルが飛んで来て被災した訳でもないという事が分かっています。
「これは誰の責任でもなく、仕方の無い事だ」という意識を、しっかりと持っているという事ですね。
その前にあった三条の水害では、「避難警報が遅かったのではないか?」なんて言う無茶な話から、さも今回の水害は行政の責任だとばかりの話でしたが、おそらくあれはマスコミお得意の「犯人探し」からの話だったのでしょうね。
ここまで書いて思いましたが、台風がいつも通過している様に思われる高知県でも、付けた看板が飛ぼうが、家が崩れようが、「○○のせいだ!」、「自分を助けろ!」と言う
甘えた言葉は聞きませんから、もしかしたら日本人全体が本来は自然災害に強いのかもしれません。
西欧の様に自然を敵と見るのではなく、自然と共存する民族ですので。
(何だか書いていて、「やっぱり日本人は素晴らしいなあ」と思った次第です。)
そう言えば、またまたテレビで仮設住宅が建った時に、「マスコミは戸数が少ない」だの、「こんな仮設住宅で冬を越さなくてはいけないなんて可哀相」だのと、さんざん煽って、実際に仮設住宅に入る人に密着取材していたところ、その仮設住宅に入ってレポーターが「こんなですけど、どう思います?」と不満を煽ろうとしたら、逆に入る人が「うわー思っていたより広いですねえ!綺麗ですねえ!」と言っていました。
しかも仮設住宅に配布されていたストーブ一つと毛布などを見て、「こんなものまで用意してもらえるんですか?有難いですねえ!」と言って、「ストーブ一個で冬を越せというのか!」や「こんなところで住めるか!」という声を期待していたレポーターを、またもやがっかりさせていました。
新潟の被災者は偉いです。
立派です。
格好良いです。
惚れました。(は、ちょっとおかしいな。えへへへ)
という事で、そんな立派な被災者の方達には申し訳ないのですが、これから弥彦温泉で忘年会をする秘密倶楽部の方にビールと焼酎の買出しをたった今頼まれましたので、急いで買って合流しなくてはならなくなりました。
ちなみに、本日の温泉忘年会の理由は「間接的に大ダメージを受けている新潟の温泉のために」というものですのでお許し下さい。
良い言葉を聞きましたので、付け加えて書きます。
「今回の災害に負けないために、新潟県民は2倍働いて、3倍遊べ」です。
頑張ってきます。
では、明日の繁盛日記「新潟の温泉を救え。〜その時女将は!〜」をお楽しみに。
■[第355回] 大企業 −H16.11.26(金)−
来週の月曜日に東京へ出張に行ってきます。
そして日帰りで帰ってきて、翌日は弥彦温泉へお泊り。
弥彦から帰ってきた翌日は神奈川へ出張です。そして週末にはこれまた別の忘年会に出席する予定です。
ちなみに、一昨日書いた仕事は何一つ終了しておりません。
その上、月末ですので、売上の集計などの事務作業もそこに加わります。
という事で、すみません!
来週は繁盛日記を書いている時間が取れるかどうか自信がありません。
出張以外の日は出来るだけ頑張って更新しますのでお許し下さい。
さて、税金が上がる?みたいですね。
と、今朝テレビでやっていましたが、本当は「上がる」訳ではなく、特別減税の措置が解除されるだけの様です。
危うくテレビに騙されるところでした。
しかし、それ以外にさりげなく話題が出ていましたが、何やら消費税率も引き上げる予定との事。
しかし本当に国っていい商売ですよねえ。
お金が足りなくなったら税金を上げれば済むんですものねえ。
しかも、その税金を払わなかったら逮捕出来るんですからねえ。
これが普通の会社で言ったら、
「会社の預金を好きな様に使っていたらお金が足りなくなりました」
「このままだとお金が回らなくなりそうなので商品を値上げします」
「その値上げが不満であろうが、買わなければ逮捕します」
という様なことです。
こんな夢の様な会社があったら良いですよねえ。
商品の値段を好きな様に決められて、しかも絶対に買ってもらえて、お金が足りなくなったら商品を値上げして、それでも絶対に買ってもらえる。
その上、お客様の数は日本国民全部です。
こんな楽な商売をしているのですから、「もうちょっと良い経営をしよう」と思わないものなんですかねえ???
「楽だからこそ考えない」というのも分かりますが、それでもあまりにも楽過ぎるので飽きてしまい、「何か良いことをしよう」くらい普通は考えそうなものですけどねえ。
「衣食足りて礼節を知る」ってやつです。
それに、普通は企業が大きくなればなるほど、「社会の為に何が出来るか?」だの、「大企業の義務とは何か?」という事を真剣に考えていきます。
なので大企業には立派な経営者が多いです。
これを考えないで私利私欲に走ったり、何も考えようとせずに経営をしている会社は必ず倒産し、消えていきます。
あれ?という事は、もしかして日本もこのまま行くと倒産、消滅となってしまうのでしょうか???
まずいなこりゃ・・・どうしましょう?
※ちなみに新潟県はもうすぐ財政再建団体にになるみたいです。
国が倒産するのは困りますが、県くらいなら大して問題無さそうですね。
ところで、県が倒産したらどうなるんですかねえ?
「新潟県買います!」なんていうIT関連企業が出てくるんですかね?
ちょっとワクワクしますね。えへへへ
出来ることならば繁盛屋で買ってみたいなあ・・・。
■[第354回] 良い営業マン −H16.11.25(木)−
すみません。
久し振りにヘロヘロのバテバテです。
本日、じっくりと来月の仕事に備えての打合せや段取をしたのですが、見事なまでに精も根も尽き果てた気分です。
打合せの途中であまりにも予想していなかった言葉を聞いた際には、思わず「何でもありですねえ!」と声が出てしまいました・・・。
すみません。真面目に反省しております。
それにしても、私が心配しすぎるのでしょうかねえ?
先の先まで考えると、とてものんびりしている暇は無いと思うのですが、それでも意外と周囲はのんびりと構えて「何とかなるさ」なんて思っている様です。
まあ「私が何とかしなくてはならない」だけの話なのかもしれませんが・・・。
果たしてこれは良い事なのかどうか?と考えてみますと、お客様に「この人なら何とかしてくれるだろう」という、安心感なり期待感なりを与えているという事で、ある意味では非常に良い事なのかもしれません。
しかし、その逆に「お客様にしっかりと説明が出来ていない」、「お客様と一緒に作り上げていない」、「現状を理解して頂く力が無い」という事でもあると思います。
そう考えると、一営業マンとしては失格の様な気がします。
この私のヘロヘロぶりはきっと、「期待に応えられない自分」だからなのでしょう。
お客様の期待に応えられる営業マンになれる様に頑張ります。
これは、ただ単に「どんな期待にも応えてみせる!」ではなく、「期待して良い範囲を事前にしっかりと説明し、その上でその期待に応えてみせる!」という事です。
良い営業マンというのは、いくらでも何でも聞き入れる営業マンではなく、しっかりと説明が出来る営業マンの事ですからねえ。
これは「会社にとって」だけではなく、「お客様にとって」もですね。
■[第353回] あと一ヶ月 −H16.11.24(水)−
12月を目前に控えて仕事が山積みです。
一筋縄ではいかない印刷物が2つ。原稿を一から作らなくてはならない冊子が一つ。その他に印刷物がこれでもか!とばかりに何種類も・・・。
プラスして店舗工事の段取やら大きな看板工事の仕事やら。
その上、今月末から来月中頃までは出張の連続です。
どうやら来年の二月まで予定はびっしりという感じです。
こんな状態で、もうすぐ温泉で行われるある秘密倶楽部の忘年会、クリスマスイブ、一月の社員旅行、ドラクエ[の発売日、明日の飲み会が迎えられるのか不安です。
まあ、それにしても仕事が大忙しというのは本当に有難い事ですね。
今年もあと一ヶ月頑張ります!!
■[第352回] 寄り道 −H16.11.22(月)−
「人生は寄り道も大事だ」という言葉があります。
私はその言葉に賛成であり反対でもあります。(「賛成の反対なのだ」ではありません・・)
私は、人生は一つの目標に向かって突き進むべきだと思います。
自ら寄り道している暇などないと思っています。
何故ならば、一つの目標に真っ直ぐ進んでいても、後ろを振り返ってみると必ず寄り道をしているからです。
これは「自ら寄り道しよう」と思って寄り道をしたのではなく、後から見たら「寄り道をしていた」という事です。
この「後から見たら寄り道だった」というのは、とても大事だと思います。
その寄り道が目標へと向かう一つの大事な要素になっているでしょうから。
これは「自ら寄り道しよう」と言ってわざわざ遠回りしたというのとは、まったく意味が違ってきます。
近頃はこの「寄り道をする事も大事だ」という言葉を履き違えて、ただ単に甘えや怠け心の言い訳に使ったりしているのかもしれません。
まるで「失敗は成功の母」と言うから、「わざと失敗しよう!」と自ら失敗している様な感じで。
私自身に置き換えて言えば、「宅配釜めし屋」を失敗するつもりでやったか?寄り道をするつもりでやったか?と聞かれれば、間違いなく失敗するつもりも、寄り道するつもりもありませんでした。
結果的に見れば「寄り道」だったのですが、そのお陰で現在の繁盛屋が生まれました。
やっている時は真剣にやっていましたし、「まあこの寄り道も後から何かの役に立つだろう」なんてのんびりもしていませんでした。
なので、「自ら寄り道しよう」という場合の「人生は寄り道も大事だ」というのは反対です。
しかし、一直線進もうと思って振り返った時に「人生は寄り道も大事だ」というのは賛成です。
人生は短いです。
わざわざ自ら寄り道なんてしている暇はありません。
したくなくてもしてしまうものなのですから。
それに根本的に、自分の進む一直線の道も見つけていないのに、「寄り道」なんてしたくても出来る訳がないでからねえ。
という事で、「失敗は成功の母」ですが、いくらわざと失敗しても成功はしませんよ。
社員の皆様・・・
そして、その「寄り道」はただの居酒屋ですよ。
私の生ビールも頼みます。
■[第351回] 問屋業 −H16.11.19(金)−
二日続けて、すみません。
「電車男」を読んで馬鹿笑いしてしまいました。
普段は本に一切興味がなく、会社命令で一月に一冊の読書を義務付けられている社員ですら、「終わったら貸して下さい」という程です。
まだ読まれていない方は、読むと馬鹿笑いが出来るのでお勧めですよ。
まあ漫画としてはですが・・・。
さて、本日非常にどう受け止めて良いのやら?という不可解な出来事がありました。
繁盛屋から問屋さんに以前にも頼んだ品物を発注しました。
そして、しばらくしたら一本の電話が掛かってきました。
内容は、いつもの問屋さんが頼む問屋さんにはその品物がないため、他の問屋の問屋から取り寄せるので納品金額が上がりますよ、との話。
「ああそうですか。仕方ないですね」と納得してしまいそうなのですが、何となく変な話の様な気もしました。
例えば、いつも納品してもらっている品物があり、繁盛屋はその品物をいつも同じ金額で「A問屋さん」から買っています。
そして「A問屋さん」にいつもの様に発注しました。
たまたま、その「A問屋さん」には在庫がありませんでした。
なので「A問屋さん」は他の「B問屋さん」に注文して取り寄せて納品する事にしました。
その際に「A問屋さん」は「B問屋さん」から仕入れますので、直接メーカーより取り寄せるよりも原価が高くなります。
では、この原価が高くなった分は誰が負担するべきなのでしょうか???
「A問屋さん」が在庫がなかったため原価が高くなったので、「A問屋さん」が負担して当然である。
「繁盛屋」が「A問屋さん」に現在在庫が無いものを注文したので、「繁盛屋」が負担して当然である。
うーん・・・どうなんでしょう???
在庫が無い「A問屋さん」が負担すべきなのでは?とも思えますし、「A問屋さん」に在庫が無いんだから繁盛屋が負担して当然だ!とも思えますし・・・。
ちなみに、「では、いつその品物はいつもの価格で納品してもらえる様になるのですか?」と聞いたところ、「分かりません」と答えがありました。
これが「二度とその商品を取り扱わない」と言うのならば、まだ考え方も簡単なのですがねえ。(次回からそれが定価になると思えますから)
この場合は、「商品の仕入れ値がいくら上がるのか?」というのは大した問題ではありません。(実際に微々たる額ですのでね)
こういう場合、「誰が負担するのが当然なのか?」という仕事をしている上での捕らえ方の問題です。
まとめますと、また在庫が出来れば値段は元に戻るという前提で考えますと、いつもの金額よりも自社が高く仕入れたので、それをお客様にも簡単に負担させて良いものなのかどうか?ですね。
ちなみに、繁盛屋ではお客様に、とても「今回はA問屋に在庫がなかったので値段を高くさせてもらって良いですか?」とは言えませんし、言う気もありません。
関係がある様な、無い様な話ですが、「アスクル」が創業した当時、カタログに載せている品物の注文を受けて、在庫を調べたところたまたま切れていました。
入荷待ちをすれば納品は出来るのですが、「明日来る」という名称通り明日には納品しなくてはなりません。
その際にどうしたのかと言いますと、「アスクル」では町の文房具屋に行って、自社の販売価格より高い「お客様より注文された商品」を買ってきて、翌日に納品したそうです。
もちろんお客様に「この商品は在庫切れだったので、もう少し待ってもらえますか?」とも、「明日納品する為に町の文房具屋さんで買って来たので仕入れ値が高くなりました。その差額分頂いても良いですか?」なんて聞きません。
まあ、アスクルの様にパンフレットに金額を書いている訳ではありませんし、「この金額で納品します」という契約書を交わしていた訳ではないので、今回の話は繁盛屋負担で当然なのかもしれませんが、どうも今ひとつすっきりしない様な気がしています。
これが「製造元が値上げをしたから」と言われたのならば、答えは簡単なのですがねえ。
または「元から需要と供給で値段が元から上がり下がりする商品だ」というならば、「仕方ないですね」で終わる話ですから。
とりあえず、私がもう少し経験を積んで大人になったら、今回の話をどう捕らえるべきなのか分かる様になると思いますので、それまではモヤモヤしたまま考え続けてみるとしましょう。
※結論を書くのを忘れていましたが、とりあえず今回はいつもより高い金額で納品してもらう事になりました。次回の納品金額は???です。(在庫次第)
■[第350回] 黒 穴 −H16.11.18(木)−
すみません・・・。
「電車男」を買ってしまいました。
まさかこんなミーハーな本を買うとは「意外な自分を発見しました」ですね。がははは
さて、理由を書きますと、昨晩の話なのですが「電車男を立ち読みしたら面白かった。でも1300円もしたので諦めた」という話を聞きましたので、本にならいくらでもお金を掛けても良いと思っている私が代わりに購入してきてあげました。
※ちなみに、さすがに売れていだけあって最後の一冊の様でした。
そして、帰ってきてから「2ちゃんねる」を確認してみたところ・・・。
まだ電車男のスレが残っているんですよーーー!!
これなら本なんて買う必要ないじゃないですかねえ!?
しかも、しかもですよ、本の方は内容には関係ないレスは削られているので、無性に気になって仕方ありません。
まあ、かなり関係ないレスもありますので削除するのは当然なのですが、それにしても電車男のレス内にレス番が出ているのに、そのレス番が飛ばされているのは気になって仕方ありません。
せめてレス番が出たときは無意味であったとしても載せて欲しいですね。
※レスだのスレだのがよく分からない方へ。
実は私もよく分かりません。えへへへ
知ったかぶりで説明させて頂きますと、「スレ=スレッド(その掲示板の名称)」、「レス=掲示板への書き込まれた文章」だと思っておけば恐らくは大丈夫だと思います。
付け加えまして、「レス番」とはその書き込んだ文章一つ一つに番号が付きますので、それを指します。
さて、知ったかぶりの話題をもう一つ。
特殊相対性理論を読み終わりました。
「簡単に分かる」と書いてありましたが、結構頭を回転させないと読めませんでした。
触りしか理解していないにも関わらず、感想を書かせて頂きます。
まず「相対」とは何か?と言いますと、「絶対」の反対語です。
相対性理論というのは、一つしか正しいものがないというのではなく、「あなたも私も正しい」という理論という事です。
※関係ありませんが、これは「絶対神文化」であるヨーロッパにしては、珍しい思考方法なのかな?と思ったりもしました。
しかし相対性理論の中で「絶対」というものが出てきます。
それは
1,光の速度は常に一定である。
2,光の質量は0である。
という事です。
何故これが「絶対なのか?」と言いますと、「1、光の速度が一定」というのは実は何の根拠もありません。
ただ単にアインシュタインが、何か「絶対だ」と言うのが無いと、理論を展開していけないので、仮定として立てただけの話です。
「光の質量は0である」というのは、もう少し面白い話です。
実は、その質量0の根拠は「今の世の中に存在する秤では計れないから」だそうです。
「光の重さが計れないから0にしておこうかねえ?」という話です。
その「光の速度は絶対に一定」、「光の質量は絶対に0」というのを、仮定として理論展開をして行きますので、なかなかユーモアのある理論となっています。
その理論で結論として出てきたものに、「光の速度は一定なので、時間の進み方は人によって違う」というのがあります。
これは、光の動く速度が一定なので、動いている電車内と動いていない場所では、光が一度先に行って戻ってきた場合、戻ってくる光のスピードが違うという式から導き出された理論です。
えーっと・・・分かりますでしょうか?
移動している電車内の、A地点からB地点まで行き、そしてまたA地点に戻ってくるまでの時間と、静止している場所でのA→B→Aの光の速度は違います。
簡単に言いますと、同じ力でボールを上に投げた場合、手元にボールが戻ってくる時間というのは、動いている車内と動いていない場所では違います。
うーん・・・ダメだ。
ここまで書いて何ですが、とても日記では説明できないですね。
なのでやめます。すみませんです。はい。
もし興味のある方は本を買って読んでみるか、お会いした際にお話しさせて下さい。
とりあえず、私の読後の感想だけ書きますね。
根拠としている「絶対」が間違っている理論なんて、とてもまともな理論にはならないと思うのですがどうでしょう?
「1+1=3」というものを根拠に計算したら、いくら計算しても正しい答えが出ないのと同じだと思うのですが・・・。
という事で、今回、相対性理論を読んでみて、「やっぱり学者って当てにならないもんなんだなあ」と思った次第です。
まず、学者の仕事は仮定から入ります。
中にはその「仮定」が当たっていて、素晴らしい発見や発明をする場合もありますが、その「仮定」が間違っている方が多いです。
その仮定が間違っていると証明するのも「学者の役目」ですので当然なのですがね。
なので、よく「○○は△△だ」と学者が学会で発表したので「それが正しい」と言われたりしますが、信用してはいけません。
それは学会に発表しただけであって、「正しい」とは別の話なのです。
本当に正しいのか、つじつまが合っているだけなのか、またはまったくデタラメな話なのか
というのは、学会に発表した後に決まっていくのです。
そう考えますと、世の中というのはまだまだ本当に発展途上なのだと思います。
例えば、「絶対に間違いない」という事が会社一つとってもどれだけあるのか?と考えてみますと・・・
現在の資本主義の姿は本当に絶対なのか?
会社は株主のものなのか?
マネーゲームと化している現在の株の取引があるべき姿なのか?
うーん・・・何だか世の中が薄っぺらく見えてきますねえ。
まあ相対性理論で言えば、「あなたが言っている事も正しいし、私が言っている事も正しい」という事ですから、世の中は「相対」で良いのかもしれません。
まあ何だかんだ言っても、人生は自分の姿勢を明らかにして生きていけば良いだけの話ですからね。
[おまけ]
ところで皆様はブラックホールをご存知ですか?
実はあれは仮定の話であって、本当にあるのかどうかは誰も知らないんですよ。
「あるって誰かが言ってたから、ある事にしようね」という事で、ある事になっているだけです。
ブルーハーツの歌の中に「今まで覚えた全部、デタラメだったら面白い」という歌詞がありますが、「世の中って本当に面白いなあ」と思う今日この頃です。
■[第349回] 本当の私 −H16.11.17(水)−
「今日こそ事務所の模様替えをするぞ!」という事で、今ほど模様替えをしました。
今回も見た目はそんなに変っていないのですが、人が動くスペースがかなり少なくなってしまいました。
そして私が占有していたスペースもかなり狭くなり、肩をすぼめながらこの日記を書いている次第であります。
イメージとしては「四畳半に二人で暮らす」という感じです。
伝わりますでしょうか?
ただ、動く場所が狭くなった事より、手を伸ばせば大抵のものが届く様になりましたので、物臭な私にはたまらないものがあります。
ただ今回の模様替えをした事によって困った事が起こりました。
それは、先ほど1mくらい机を運んだ事で、背中の腰辺りに変な痛みが走る様になりました。
腰痛持ちの私としては非常に不安です。困ったものです。
さて、相対性理論を読み終わった感想や、新しく読み始めた本の藤堂高虎についてや、ブータンでの煙草販売禁止についての意見や、北朝鮮への経済制裁についてなど色々と書きたい事があります。
なのですが、本日は知人とメールをしていて「他人を理解できるかどうか?」という話になり、それが面白かったので日記にも書いてみます。
こんな風に言うと「生意気だ!」と思われるかもしれませんが、私は人というのは簡単に理解し合えると思っています。
※ただし、その理解した相手が、「自分の気に入る相手であるかどうか」や、「自分の思う様に動かせるかどうか」というのは、これはまったく別の話になります。
人というのは大抵は、ある一定のパターンでものを考えますし、そうやって生きて行くものですから、その人となりを見極めるのはそんなに難しくはありません。
また、人の性格はそんなに何百種類もある訳ではありませんので、そんなに大した違いはなく、多少の好みが分かれる位です。
世の中でよく使われる言葉で、「自分の事は自分しか分からない」というものがあります。しかし、実はそれは傍から見ていれば丸見えだったりします。
これと逆のパターンで「自分で自分が分からない」というものがあります。
そう言っている本人はそのつもりなのですが、実は自分でよく分かっていますし、これまた傍から見れば丸分かりだったりします。
そして、「人の思考パターンを読む」というのも、そんなに難しいものではありません。
さすがにエスパーではありませんので、「今私が何を考えているか分かる?」なんて聞かれても分かる訳がありませんが、どういう思考パターンで行動しているか、今後どういう人生を送って行きそうなのかは予想が付きます。
これは、普段の生活や行動を見れば分かります。
普段の生活や行動に現れない場合は、本人は「今の自分は本当の自分ではない」と思っているかもしれませんが、実はその人は「その人が思っている様な自分ではない」という事なのです。
また、「深く話をした事も無いのに分かる訳が無い」という言葉もありますが、「深く話をする」というのは、それほど重要では無く、逆に誤解してしまう場合が多々あります。
これは、深く話しをしたからと言って、その「深い話」が本当に腹の底から出ているとは限らないからです。
例えそれが「正直な話」だとしても、それは現在の「正直な話」であって、過去も未来も同じ話とは限りません。
という事で「深い話」というのは、決して人を理解する際の前提条件にはならず、相手を理解する際に一つ二つプラスするというレベルの話です。
なので、相手を理解するには、この「普段の様子」さえ見る機会があれば、どういう人なのかを理解するのは難しくありません。
何よりも一番露骨にその人が現されているのは普段の様子ですから。
ここを勘違いしてしまい、あまり自分にも他人にも「本当の自分」、「本当のあなた」なんていう過大な期待、または幻想を抱いて人を理解しようとしますと、頭が混乱するだけです。
深読みしすぎて間違えるというやつですね。
ここまで書いて言うのも何ですが、今まで書いた事はそんなに大した話ではありません。
自然に誰もがしている事の訳ですから。
普段の様子に接していながら、「あの人はとても理解できない」なんて事はまずありませんよね?
※最初に書きました様に、「理解した結果が気に入るか、気に入らないか」というのは別にしてですよ。
さて、当然ですが、私もある一定のパターンの思考方法をしていますので、社員にも考えている事や人間性から下の話までバレバレです。
そして私自身も「自分ならどう考えるか?」、「自分ならどう動くか?」というのが、簡単に分かります。
「意外な自分を発見した」なんて事はまずありません。
ただ私の場合は一つ問題があり、それで色々と頭を悩ましております。
それは、私の思考パターンが「他人に受け入れられるかどうか?」です。
私はちょっと特殊であったり(本当は私は特殊だとはまったく思っていないのですが)、強烈な思考パターンで物事を考えますので、万人に好かれる様な私では「間違いなく」ありません。
なので、「どうやれば受け入れてもらえるか?」を、よく考えて行動や言動に表します。
それをしなければ、こんな私である限り、きっと誰も相手をしてくれなくなるのが、大変よく分かっていますので。
(これは以前の上司に「お前は言葉が剥き出し過ぎる」と言われたのと同じですね)
最近はその努力の成果なのか、多少ですが人様に話を聞いてもらえる様になってきた様な気がします・・・。(気がするだけですので、事実確認はご遠慮下さい)
まあ、それでも中身はバレバレなので、理解された結果で「気に入らん!」という方が多いとは思いますけどね。えへへへ。ごめんなさい。
という事でまとめますが、私は「人を理解するのはそんなに難しいものではない」と思うのですが、皆様はどう思われますか?
何度も書きますが、「理解したが気に入らない」、「理解したくもない」というのは別としてですよ。
■[第348回] 免許センター −H16.11.16(火)−
本日はいつもに増して、どうでもいい話をダラダラと書いてしまいました。すみません^^;
お読み頂けるレベルの内容ではないので、お忙しい方は本日の日記を飛ばして下さい。
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自動車免許の更新で、三年ぶりに免許センターへ行ってきました。
私としては違反をした記憶はないのですが、日本の法律では違反だったようで、二時間の講習を受ける事になりました。
ちなみに違反は、今年の二月に東京出張の際に関越自動車道で、赤色灯を付けたGT−Rに追いかけられた一度のみです。
その際には、私の反則金が「国の治安を守る為に役立つならば」と、喜んで反則金を支払わせて頂きました。
その際に警察官の方に「これでゴールド免許じゃなくなって残念です。また三年で免許の更新ですね」と話したところ、その警察官の方は「今は普通で五年更新だよ」と言われました。(これは間違いありません。二度ほど確認しましたから)
しかし本日もらった免許証を見る限り、どうやら普通は以前と変らず三年更新の様です。
きっと群馬県に限り普通の人は五年更新なのでしょう。
まあ免許制度の大事な収入源である、更新の際の申請代をそう簡単には手放さないでしょうから当然といえば当然ですが。
さて、私はいつも免許証の更新の際に、それまで使用していた免許証をもらってきます。
以前の免許証の使用方法は特にある訳では無いのですが、一度だけ土佐に行った際に名刺の持ち合わせが無く、「名刺」として差し出した事があります。
きっとあの方の名刺フォルダには、私の免許証が入っている事でしょう。
「生まれて初めて名刺として免許証をもらった」と喜んでいましたから。
本日も午前中まで使用していた免許証をもらって来ました。
写真を見比べてみましたら、三年前と大して顔が変っていない事が分かりました。
ちょっと顔色が悪い様な気がしますが、これは光の加減のせいだと思います。
多少の欲目で見ますと、ほんのちょっとだけ大人の顔付きになったかな?という感じです。えへへ
しかし、「男は40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」と言いますから、欲目で見なくてはダメというのはイカンですねえ。
三年前と大して変っていないという事は、進歩していないという事だと思います。
こんな事ならば、三年前には思いっきりダメダメ君の顔形をして写っておくべきでしたね。
そうすれば、多少の進歩が得られた様な・・・。
それにしても、何故免許センターに行くとあんなに暗い気分になるのでしょうか?(私だけでしょうか???)
なかなか普段では味わえない脱力感が襲ってきます。
そして「どう見てもお前はダメダメ君だろう?ダメ子ちゃんだろう?」と問い掛けたくなる様な、顔付きや服装や行動をしている人が多いのでしょうか?
ある意味では職安に来ている「バカップル」と通ずるものがありますね。
1,まるで、「これからご出勤ですか?」、「どちらのお店ですか?」と聞きたくなる様な、妙に気合の入った格好をして来ている女性。
2,「どこでそんな服を買うの?」と聞きたくなる様な、ヤンキー風な男性。
3,「仕事していないでしょう?」と聞きたくなる様な社会に適応していなさそうな、ずぼらな格好の男性。
本当は普段は普通の暮らしをし、真面目な生活をしているのかもしれませんが、免許センターで見掛けると何故か「変な人」や「暗い人」にしか見えないのが不思議です。
そういう私も、きっと免許センターでは「怪しい男性」となっているのでしょう。
講習中に暇だったので色々と原因を考えてみました。
1,普段の生活の中では、まったくの赤の他人と出会うことが無いから、そんな風に見えてしまう。
2,名前も仕事もまったく知らない、そして今後も関係の無いだろうと思われる人と同じ空間に押し込められる事による不思議な感じがそう思わせる。
3,今まで大抵免許センターに行くのが免停講習だったので、その時のイメージが強く残っているから。
うーん・・・どうもすべて当てはまっている様な気がしますねえ。
まあ、3番の悪いイメージが付いているというのも確かですが、それ以上に、普段仕事をしていて「まったく知らない人」と出会う事はありません。
例え初対面でも、必ず「○○会社の方」であったり、「○○に住んでいる方」、「お客様」という様に、何かしらの立場が分かりますので、人間単体で見たりしません。
その点、免許センターで見かける人というのは、交差点ですれ違う人の様なまったく現在は関係していない人です。
免許の更新に来ているという事は、「誕生日が近い」、「新潟県在住である」、「交通違反をしている」、「性別は○性である」といった様な事しか分かりません。
それしか分からない人達と何時間か同じ空間で同じ体験をする。
考えてみますと、なかなか滅多にある経験ではありませんね。
何かの講演会に行ったとしても、必ず知り合いや友人がいますから。
それにしても免許センター位ですね。
まったく知らない人ばかりの中でいるというのは。
ただ、今回は知り合いが一人いました。
喫煙所を出た後にマフィア風なスーツを着ていた人に「近藤さんですか?」と話し掛けられ、何か怪しい物を売り付けられるかとビクビクしましたが、実はその人は後輩の「テキサス君」でした。(気付かなくてごめんね)
彼はもうすぐ結婚するという事なので、身辺を綺麗にするために来たのでしょう。
いや、ちょっと違うか・・・。
何にせよ、次回の免許更新の際は三年間無事故無違反で30分で帰って来たいものです。そして夢の五年更新のゴールド免許ですね!
何と言っても、ゴールド免許になると国から金一封が出るらしいですから。(嘘です)
という事で、本日の日記は終了とさせて頂きます。
こんなところまでお読み頂いたという事は、きっと「こっちが脱力感に襲われたよ!」とお怒りでしょうが、その辺は「たまにはこんなまったりした日記もありだよね!」とプラス思考で乗り切って頂けましたら幸いに存じます。
明日は、文字一つ一つから「ほとばしるオーラ」が感じられる様な、気合の入った日記を書きますのでご勘弁下さい。
■[第347回] 年 齢 −H16.11.15(月)−
本日は坂本竜馬の命日です。
皆様もご存知ではあると思いますが、坂本竜馬は11月15日に生まれ、33歳の誕生日である11月15日に生涯を終えました。
なので享年が33歳と言っても、33歳を過ごしたのは丸一日もありません。
ちなみに、私の誕生日は吉田松陰の命日であり、現時点で坂本竜馬よりも長生きをしている事になります。
高校時代に初めて出会った「坂本竜馬」の、いつしか年上になってしまいました。
正直なところ、ちょっとした虚脱感があります。
これは高杉晋作よりも年上になった時にも感じました。
※まったく関係ありませんが「甲子園の球児が年下」というのは、いまだに納得できておりません・・・。
さて、私が確か23歳の頃、当時勤めていた会社の社長宛に退職願いを出しました。
その時の退職願に書いた文章ははっきり覚えてはいないのですが、こんな事を書いた様な気がします。
私はすでに23年間生きてきました。
その23歳という年齢に非常に焦っております。
私の尊敬する高杉晋作の没年齢まで6年、坂本竜馬の年齢まで10年です。
同年齢の時の高杉晋作や坂本竜馬、斉藤道三などと比較しますと、今のまま仕事を続けていても、とても高杉晋作や坂本竜馬と同じ歳の時に、同じ程度の事が出来るとは思えません。
「年齢など関係ない」、「何歳まで生きてもその中で自分に自信の持てる人生を送れば良い」という事も分かりますが、しかし時代が違うといっても、23歳は23歳、25歳は25歳です。
私は明治の志士にも、戦国の雄にも同年代で比較しても、負けぬ様な人生を送りたいと思います。
そのためにも、会社を退職させて頂き、自分で仕事を始めたいと思います。
という様な主旨の退職願を出しました。
結果としては、社長より強く引止められた様な、軽くいなされた様な感じで、その後2年ほど同じ職場で働き、25歳の時に退職し、見よう見まねながら仕事を始めました。
そして27歳で繁盛屋を始め、今では42の厄年を迎えるまでになりました。(これは冗談です)
未だに、29歳で生涯を終えた高杉晋作にも、30歳で生涯を終えた吉田松陰にも、33歳で生涯を終えた坂本竜馬にも敵うどころか、足元にも及ばない様な結果しか出せておりません。
しかし、私はまだまだ諦めません。
優秀な者であれば30歳くらいで成し得る事を、私の様に優秀で無いものは、コツコツと地道に進んで行き、倍の年数を使ってでも成し得て行かなくてはなりません。
「人生は事を成すにあり」
私の人生はまだスタートもしていないのかもしれません。
と言いながら、まだ懲りずに「織田信長の40歳」を狙っていたりもします。えへへへ
■[第346回] 相対性理論 −H16.11.12(金)−
先週本屋へ行った際に、「簡単に分かる相対性理論」という文庫本を買いました。
別に相対性理論に興味があった訳でもないのですが、たまたま平積みされていたので目に留まり買ったと言う感じです。
その前に読んでいた井深大の本にアインシュタインの事がちょっと出ていたので、それが切っ掛けなのかもしれません。
(「大抵の大発明は20歳代がする」という例でアインシュタインが出ていました)
さて、まだ最初の40P位しか読んでいないのですが、なかなか面白いです。
この本の説明文の中にこんな事が書いてありました。
相対性理論なんて言うと、普通の人は「難しそうだ」と思いますが実は違います。
アインシュタインが相対性理論を発表した際に、その他の学者みんなが「ああ、なるほど!」と即座に理解しました。
これは天才にしか理解できないという話ではなく、普通の人でも簡単に理解できる論理なのです。
そして、もしアインシュタインがいなかったとしても、2〜3年後には他の学者が発表していたという、誰もが行き着く理論なのです。
果たしてこの著者の言う様に、普通の人が学者と同程度の理解力を示せるかどうか分かりませんが、とりあえず今のところは面白く読んでいます。
ただ、「どうも怪しいなあ?」というのがすべて光を基準にして理論を組み立てている所です。(今まで読み終わった段階でですよ)
「ブラックホールは光も吸い込むので時間が止まっている」
「光速に近いスピードでいるものほど時間の進み方が遅い」
「止まっているものよりも、動いているものの方が時間が遅く流れる」
との事。
どうもここら辺は怪しいものですね。
ではその基準にしている光を作り出している太陽が無くなったとしたら・・・。
時間は止まるという事ですかねえ?
それこそ、昔見たスーパーマンの映画のラストみたいに、光速より速く地球の自転と逆に回ったら過去に戻れるという事になってしまいます。
そんな訳無いですよね。
自転を逆回転に回ろうが、光速より速く回ろうが、回っている間の時間は過ぎて行きます。
こんな子供でも分かる、基本的な常識を無視して「何が相対性理論だ!お、愚か者め!」とは言いませんが、あまり無茶な理論は言っちゃダメですよね。
学者の言う事だからとついつい信じてしまいそうになります。
以前、何かの本で悪魔の理論だか何だかというのを読みました。
ある所にA君とB君がいます。
A君はB君の100m前方を歩いています。
そしてB君はA君に追いつこうと走り出します。
A君の歩く速度は、B君のちょうど半分です。
普通に考えれば、すぐにB君はA君に追いつけます。
しかし、理論上では決して追いつけません。
何故ならば、A君はB君が進む距離の常に半分進んで行きます。
B君が最初にA君がいた地点に着いた時には、B君はそのA君が進んだ距離の半分先にいます。
そしてその先の地点にB君が着いた時には、A君はまたB君が進んだ距離の半分先に進います。
この繰り返しでどんな事があっても、B君はA君には追いつけません。
距離がどれだけ短くなろうとも、A君は必ずB君が進んでいる限り追い越せないという事になります。
えーっと・・・お分かり頂けますでしょうか?
理論上で「半分」という事で言えば、決して追いつけない。
これは4分の1であろうが、10分の1であろうが同じ事です。
しかし現実は<時速30キロで走っている車を時速60キロで走る車は追いつき、追い越していきます。
この悪魔の理論は、実は大事な「時間」という観点が抜けているからこそ、成立っているのです。
では、その時間がどの様に絡むとこの悪魔の理論を破綻させられるかと言いますと・・・
そこまでは当然なのですが私ごときには分かりません。えへへへ
(すみませんねえ。ここまで引っ張っておきながら尻切れトンボで)
何にせよ、理論であろうが何であろうが、数字遊びなのか、ただのお試し発表なんだか分かりませんが、人にとって大事な時間というものを忘れてあまり成立たせないでおいて欲しいですね。
ゲームとしては面白いですが、役には立ちませんから。
おっと!こんな事を書いているうちに私の貴重な時間が過ぎていってしまいました。
早く帰って、ハイロウズに行かなくてはでした!
本日はこれにて失礼させて頂きます!では!!
■[第345回] 白 鳥 −H16.11.11(木)−
お客様より本日、急遽「白鳥のイラストを作って欲しい」と依頼がありました。
他の業者に頼んだものの、「白鳥と言うよりはカルガモまたはアヒルに近いように見えてしまうイラスト」が出来上がってきたそうです。
午前11時頃に連絡が入り、納期は午後四時までという事で、繁盛屋内で1パターン作り、いつもお願いしているプロフェッショナルデザイナーにも1パターンの作成を依頼しました。
ちなみに、私も一瞬「作ろうかな?」と思ったのですが、作画ソフトを開き線を一本引いた時点で諦めました。
私にはデザインの才能はありませんね・・・。
ところで皆様は白鳥の特徴は何か分かりますか?
白い鳥というだけでは、白鳥には見えないのですよ。
実際にイラストを作成しようと思ったとしても、作ろうとするとカルガモやアヒルやダチョウになってしまったりします。
これも私が断念した理由の一つであります。(ちょっと嘘)
さて、何とか四時ジャストにプロフェッショナルデザイナーにお願いしたイラストが出来上がりました。
これがまた、非常に素晴らしいイラストでした。
繁盛屋内で作っていたイラストも、別の意味では大変素晴らしかったのですが、お客様のご希望が「笑い」ではないと思いますので、泣く泣く提出は控えました。
あれはあれである意味では素晴らしい出来だったんですがねえ・・・。
どんなに辛い事や悲しい事があっても、ついつい笑顔になってしまう様なイラスト・・・。
本当は繁盛日記に画像のアップをしたいところですが、勝手に載せると後で製作者に怒られそうなので残念ながら載せられません。
何にせよ、本日は「キャラクター製作のプロというのはどういうものなのか?」がよく分かりました。
確かにあれは才能が無いと出来ない仕事ですね。
デザインはデザインなのですが、それとはまたちょっと違った才能も必要ですから。
いやー世の中には色々な才能があるものですね。
ところで、ふと思いましたが私には何の才能があるのだろうか???
うーん・・・うーん・・・うーん・・・
まあ「才能が無いのも一つの才能だ」って言いますからね。
■[第344回] 飛込み営業 −H16.11.10(水)−
繁盛屋では新入社員に必ず最初は「飛込み営業」をさせます。
これは「営業の基本である」という事もそうなのですが、繁盛屋を始めた頃は今の様に紹介を頂く事も無く、仕事の知識も無く、出来る事は「飛込み営業だけ」
でした。
なので、新入社員にもその「会社のスタート」を味わってもらうという意味でもあります。
現在の繁盛屋の仕事の殆どは、「お客様からご連絡を頂いてスタートする」という様になりました。
これは繁盛屋を始めた頃から考えましても、今の世の中の状況においても、大変有難い事です。
しかし、「初めて営業の仕事をする」という新入社員の場合、この「お客様より電話を頂いて仕事が出来る」という事の有難さが分かりません。
なので、新入社員には初めに「飛込み」をさせ、お客様より電話を頂ける有難さを教えます。
何せ飛込みされるお店や会社としては、「まったく見知らぬお客様でもない人間が入ってくる」という訳ですから、その「対応の冷たさ」というのは、なかなか大したものです。
※中には、「笑顔で話を聞いて頂ける」なんて事もありますが、そう滅多にはありません。
「変なものを売りつけに来たのではないか?」
「忙しいのに、しつこく話をされるのではないか?」
「お客様だと思ってせっかく笑顔を作ったのに押し売りか?」
なんて思われるからだと思います。
これは当然の話です。
そして、そんな風に最初は「何だこの胡散臭い奴は?」と思っているお客様に、仕事を頂ける様にするという、非常に大変
な仕事でありながら、新人でも出来る仕事が「飛込み」です。
さて、前振りが長くなりましたが本題です。
昨日、お客様より印刷物配布の依頼を受けました。
内容は「新潟のホテル14箇所のフロントに、今回作成した印刷物を置きに行く」です。
最初の話では、「アポ無しでフロントへ行き、そこで頼んで置いてもらう」という話でした。さすがにそれは厳しいかな?と思いまして(サービスですので)、事前にお願い出来る所にはお客様より連絡を入れて頂きました。
その結果、何とか12軒のホテルに関しては、「フロントへ届けるだけで良い」という事になりました。
さて、その12ホテルへの配布を新入社員にやらせました。
そして事前連絡の入っていない残り2ホテルは、「ダメで元々」という事で飛び込みをさせてみました。
結果から書きますと、14ホテルすべてのフロントに置いてもらえる事になりました。
社員自慢をする訳ではありませんが、なかなかこの新入社員やります。
今朝、「どう緊張する?」と聞いたところ、「何とか頑張ります!」との返事。
そしてその後に、「昨日、家に帰ってから奥さんを相手に飛込みの練習をしました。」との話・・・。
すごいですよねえ!?
会社命令ではなく自発的にです。
通常ですと、初めて飛込みをする人には、必ず事務所で飛込みのロープレをさせます。
しかし今回の場合は、お客様より「置かないと言われたら持って持って返ってきて」と話があったのと、まだ営業を教えるタイミングではなかったので、「とりあえず頼んでみてごらんよ!」と気楽に昨日は話しておりました。
今まで何人も新入社員が入っては辞めていきましたが、自発的に練習した社員は初めてです。
うーん・・・繁盛屋も良い社員が集まる様になったなあ。
まだ先行投資の出来る力の無い繁盛屋としては、本当に有難い限りですね。
■[第343回] 才 能 −H16.11.9(火)−
「才能とは楽をして上達出来る能力を言うのではない
才能とは上達しようと努力する能力を言うのである」
そんな事を、日曜日に酔っ払いながらたまたまやっていた、ホリプロスカウトキャラバンを見て思いました。えへへ
※「本田宗一郎と井深大の本を読んでそう思いました」と書いた方が説得力があるかな?
■[第342回] 間接被害 −H16.11.8(月)−
本日、11時過ぎに立て続けに3回ほど地震がありました。
前回の地震ほどではありませんでしたが、結構長い間グワングワンと回る様に揺れていました。
この調子で行くと本当に「新潟は地面が揺れる県」になってしまいそうで困ったものです。
さて、地震の直接的な被害ではなく、間接的な被害として新潟県の温泉地がキャンセルが相次ぎ、大変弱っているという話を聞きました。
それは被災地ではない温泉での話です。
関東から予定した観光客がストップした事で、ある温泉では二万人のキャンセルが出たという話も聞きました。
現在、関東から新潟へ入る手段は、飛行機と東北道経由の新潟入りしかありません。
※新幹線で途中の駅まで行き、バスに乗り換えた後また新幹線という方法もあるらしいのですが、正確なところは分かりません。
確かに、わざわざ迂回や乗り継ぎをしてまで、「新潟の温泉を目指す」という事は、ちょっと考えられませんのでそれもありなんという感じです。
ましてや、未だに余震や群発地震が発生している新潟の温泉に、「それでも行きたい!」という人はまずいないでしょうしねえ。
という事で、地震による直接の被害ではないものの、地震による間接的な被害を受けている商売は多いと思います。
例えば、これからシーズンに入る「スキー場」なんて言うのもそうですね。
新幹線が復旧していたとしても、「新潟=地震」というイメージが強いですから、例年通りにスキー客が集まるとは思えません。
これがまだ四月位であれば、記憶も薄れて多少のダウンで済むかもしれませんが、11月に入ってからも、こうも地震が続くようでは、まず記憶の薄れは期待できません。
しかも雪山ですので今度は雪崩に対する恐れもありますしね。
そう改めて考えてみると、地震というのは間接的にも大変な被害を与えますね。
かと言って、自然が起こす事ですから、どこかに文句を言う訳にもいきませんし、被害に合った分を国に補償しろなんても言えませんしね。
このまま行ったら、「地震によって資金繰りが悪化して倒産」なんていう企業も出て来るのではないかと思います。
それを助けるために、私が無責任に「絶対に安全ですので、お気軽にお越し下さい!」と言う訳にも行きませんし・・・。
ただ、予定ではありますが、私の出席している会合では、困っている温泉宿のためにという事で、忘年会を早めて近いうちに温泉に行く事になりました。
皆様の中でも、もしどちらかに行かれるご予定が御座いましたら、是非新潟の困っている温泉地に泊まってあげて下さい。
きっと普段以上に心のこもった「おもてなし」をしてくれるのではないか?と思います。
その一方で、小耳に挟んだのですが、長岡は2000人以上のマスコミ関係者が集まっているため、食堂やホテルはすごく景気が良いらしいという話を聞きました。
まあ、それも一時的なものですので、今後はどうか?と考えますと、やはり厳しいでしょうね。
うーん・・・しかし私達の仕事というのは、自然にしても社会にしても「安定」の上に成立っているという事がよく分かりますね。
災害が来ると一気に普段の流れがストップして、立ち行かなくなりますから。
やはりそのためにも力のある企業にならなくてはですね。
何はともあれ、頑張れ新潟!!
■[第341回] 満 足 −H16.11.6(土)−
先日、髪を切りに行った際、美容師とこんな話をしました。
「美容師という仕事は職人としての意識が強いと思う。職人となると自分のこだわりがあるけれども、お客様の好みもある。しかも、そのお客様が満足するだけ
ではなく、そのお客様の周りの人にも満足してもらわないとダメ。となると、職人であり商売人である美容師としてはどれを一番優先する?」と聞
いてみました。
1,「お客は満足しているが、美容師として納得できない」
2,「美容師は満足しているが、お客様は満足していない」
3,「美容師は満足していて、お客様は満足していない。しかしそのお客様の友達はすごく誉めた」
この場合どれが良い?と。
その髪を切ってくれた美容師さんの答えは、「うーん難しいけど、お客様の満足優先かな?」との事でした。
要は一番に誰を向いて仕事をするのが大事だと思って仕事をしているか?という事です。
ここら辺は繁盛屋の仕事も似ています。
看板、印刷物、店舗などで代金を頂くのは、お店などをやられているお客様ですが、その奥にお客様のお客様を意識して仕事をしなくてはなりません。
この場合、いくつかにパターンに分かれてしまい悩みます。
「繁盛屋の良い・悪い」、「お客様(お店・会社)の良い悪い」、「エンドユーザーの良い悪い」が絡み合ってきます。
例えば、
1,繁盛屋も、お客様(お店・会社)も良いと思っているが、エンドユーザーの反応が悪い。
2,繁盛屋とエンドユーザーは満足しているが、お客様(お店・会社)は「どうかな?」と思っている。
3,繁盛屋も、お客様(お店・会社)も、エンドユーザーも満足していてる。
などです。
仕事として考えた場合、もちろん一番ベストなのは「3」です。
しかし仕事をしていれば当然「2」の場合もあります。これが頭を悩まします。
要は、繁盛屋として考えた場合、お金を頂くお客様のその奥にいる「お客様のお客様」も考えて仕事をしなくてはなりません。
しかし、時にはお客様より指定されたデザインの作成を依頼されて、エンドユーザーを考えた場合「いくらなんでも・・・」とこちらが思ったとしても、お客様が「どうしてもこれで行く!」と言われる場合があります。
その場合は、当然ですがお客様(お店・会社)の意向を優先致します。
そしてたまにですが、後からお客様よりお叱りを受ける場合があります。
「全然あの製作物の反応が無い!」と・・・。
こちらとしては「ですよね!」と言う訳にも行きませんので、「誠に申し訳ありませんでした」とお詫び致します。
まあ、これは「プロとしてもっとお客様が納得できるアドバイスは出来なかったものか?」という事で、非常に良い反省材料、勉強材料になるので有難いクレームとも言えますが。
この話は直接エンドユーザーをお客様にしていない仕事には共通します。
例えば、学校の先生でも同じです。
生徒の満足を考えるのか?、父兄の満足を考えるのか?、社会の満足を考えるのか?
生徒を厳しく躾けた事によって、父兄からクレームが来る。しかし社会は立派な人間に育ててくれたと感謝するかもしれない。
生徒に甘く、父兄に感謝されたものの、社会ではまったく通用しない人間になるかもしれない。
うーん・・・難しいですねえ・・・。
何であれ、繁盛屋は製作者・お客様(お店・会社)・エンドユーザーが満足できる仕事をして行きたいと思います。
■[第340回] 成人式広告 −H16.11.5(金)−
本日はお客様の広告打合せを、新聞社、協力会社の方と致しました。
そしてその方が帰られた3分後くらいに、今度はテレビ局の営業の方が訪問して来られました。
※何だかこう書くと、まるで繁盛屋の本業が広告代理店みたいですね。いかんなあ。
さて、そのテレビ局の方は一つの広告案を持って来られたのですが、これがたまたま直前までいた協力会社の方で昨年までやっていた物でした。
それは、成人式出席者に配る冊子への広告とテレビCMがセットになったものだったのですが、最近はこういった冊子への広告が殆どと言っても良いほど集らない様です。
集らない理由は、あまりにも広告収入目当ての雑誌が増えすぎたため、どこに広告を出しても消費者の目に留まらなくなり、費用対効果が出ないからだと思われます。(と、思われている場合も多々あります。)
しかし、今回提案された冊子の広告ですが、なかなか使い様によっては面白そうな話です。
成人式の日に新成人に配られる訳ですから、20歳位をターゲットにしたお店をやっていれば、大分有効に使えそうです。
例えば、居酒屋の広告を載せて「成人式の飲み会は是非うちで!」と入れても良いでしょうしね。
しかし、こういうターゲットが限られていて、しかも必ず手に取ると分かっている冊子ならば、簡単に広告が埋まりそうなものですが、そうでもないのですね。
これが不景気の壁なのでしょうか・・・。
費用対効果が見込めれば、広告費は決して無駄金ではないと思うのですが。
■[第339回] 歓迎会その後 −H16.11.4(木)−
2日の歓迎会では、約一名を除きグデングデンのベロンベロンに大酔っ払いになってしまいました。
途中からは、誰が誰と会話しているのか、どんな会話で盛り上がっているのかも分からない程でした。えへへへ
ふと気付くと、私の目の前には頼んだ生ビール3杯と白ワインがあったり、向こうの方では同じ封の開いていないワインが2本あったり、それをあっという間に2〜3人で飲み干していたり。
※この「同じ物が何個もある」というのは、注文してから出てくるのが遅いので頼んだものです。飲み物が無くなると誰か暴れだしてもおかしくない状態だったので、その危険を事前に察知した私の英断でしたね。うん。
それにしても、本当に久し振りでしたね。
人に無理やり酒を飲ませたのは・・・。
いつもは人にお酒を勧める事など無い私なのですが、どうも頭が飛んでしまった様で、「飲み比べ」をさせたり、「良いから飲めよ!」と私同様に同じ酒を二つも三つも並べさせて飲ませたり・・・。
まったくもってして、上役と言う立場を利用して酒を飲ませるなんて言語道断です。
これが女性社員だったらセクハラですよ!!
という事で、当然の様に、翌日は非常に自己嫌悪に陥りました。
(何故か今回は二日酔いにならなかったんだよな・・・。まあ酔いが醒める前にまた飲み始めたからなのかもしれませんが・・・)
とりあえず社員一同に、「昨晩は醜態をさらしてしまい、誠に申し訳ありませんでした。」というメールを送ろうと思ったところ、その前に社員から「昨晩は酔っ払ってすみません」というメールが入っていました。
そして「良かった。自分だけではなかったんだな」とほっと胸を撫で下ろした次第です。
※でも、もしかしたら「社長が落ち込んでいるだろう」という優しさからのメールだったのかも知れません・・・。すみません。
何にせよ、次回からは「繁盛屋は紳士・淑女の集まりである」という事を肝に銘じて飲もうと思います。
ちなみに約一名が、「自分が飲んだ量や品名まで覚えている」という事で、朝から大ブーイングを受けていたのはちょっと面白かったです。
■[第338回] 歓迎会 −H16.11.2(火)−
本日、新入社員の歓迎会を開きます。という事で手短に。
本日初ハンズフリーをしました。
正直なところ、何故こんなくだらない法律を作るのか?と思うのですが、まあ泣く子とお上にはかないませんので仕方がありません。
どう考えても、携帯電話で話したせいで事故に合うような人は、話をしていようがいなかろうが事故に合う確立が高そうなものですが・・・。
意識が集中出来ないのは、ハンズフリーでも同じ事ですからねえ。
これが、運転中はタバコを吸ってはいけない、物を口にしてはいけない、同乗者と話してはいけない、音楽を聴いてはいけない、ハンドルを片手で握ってはいけない、まばたきをしてはいけない、アクセルを踏んではいけない、座ってはいけない、とならない事を願っています。
もしも、あまりにも無茶な法律ばかりになったら、皆で革命を起こしましょう。
さて、ハンズフリー初体験についてですが、何だか話していて「ちょっと気持ち悪い」というか、「不思議な感じ」がしますね。
まるで話し相手が助手席に座っている様な感覚で話すのですが、横を見ると誰も乗っていない。何だか透明人間と話している様な気分です。
それにしても、ハンズフリーをしていて気付いたのですが、人というのはやはり表情でも話をしています。
普通に電話で話している時は、まったく意識をした事が無かったのですが、ハンズフリーの場合、ついつい横を見て笑顔になったりしてしまいます。(私だけかもしれませんが・・・)
自分でもその時は「あれっ?」と思う位なのですから、きっとすれ違う車の人は「何か今、怪しい人が運転していたな」と思う事でしょう。
まあ、そのうちこれが日本の道路では当たり前の光景になると思います。
そう考えると、一人でいる時は終始独り言をブツブツ呟き、思い出し笑いを頻繁にし、テレビに向かって文句を言っている私にとっては、素晴らしい法律なのかもしれませんね。
さて最後に、官僚さん!!
お願いですから、本当に運転中のタバコ禁止とか言わないで下さいね・・・。
もしそんな法律を作られたら・・・。
もう、その時は反則金と免許停止を覚悟で意地でも運転してやりますよ。ええ。
■[第337回] 冷や汗が出ました −H16.11.1(月)−
10月30日に行われた西村慎悟講演会報告です。
足元が悪く、また中越地震で来場者数が少なくなるかと心配しておりましたが、予想していた以上に来場者数が多く、なかなか盛況な会となりました。
中には、中越地震の影響があるにも関わらず、三条や上越からも来られた方もおられました。来場者、スタッフ全員に何故か私から厚く御礼申し上げます。
さて、先日の大失敗についてです。
その後、「何とかしなくてはならない」という状況のため、「無理を通せば道理が引っ込む」とごり押しをし、何とかなりそうです。
本当に、道理を引っ込めて頂いた方には、私の意識の低さから大変ご迷惑をお掛けしてしまいました。
また、ご心配をお掛け致しましたお客様に大変申し訳ありませんでした。
昨日、その後処理の仕事をした後、「これで一安心だな」と帰宅しました。
そして帰宅途中に買った、唐揚げ弁当を広げビールを一口飲んだ際にふと思いました。
「あれっ?そう言えば、今回忘れていた部分以外について確認したっけ??」
そして考えてみると、自分の中に確認した記憶がまったくない・・・。
「うわぁーーーーー!!」と一気に冷や汗が出てきました。
その後、一所懸命記憶を辿ると、「何となく」連絡した気はする。
しかし確認した覚えは無い。
もし間違っていたとしても、もう無理を通せるレベルの部分ではありません。
真面目に、一瞬「放浪の旅」に出ようかと思ってしまいました。
そしてその後、確認したところ問題はなく、しっかりと修正してあり、何とか事なきを得ました。
今回の件で、どれだけ自分が今回の仕事に対して「慣れきってしまっていたか?」、「ひとまかせにしていたか?」という事を痛感しました。
毎年恒例で、今年で三年目になります。
自分の頭の中に「大丈夫だろう」という甘い考えがありました。
そして、今回の件で「二度と同じ過ちを繰り返してはならない」と深く反省致しました。
「仕事は注意し過ぎてし過ぎることは無い」
「仕事を甘く考えてしまう「慣れ」は持ってはいけない」
「いつでも自信を持って仕事が出来る様にしなくてはならない」
「どんな仕事でも、どんなに忙しくとも、ひとつひとつに意識を高めなくてはならない」
「自分を信用しない」
という事で、今朝、早速自分の為に、ミスを犯さないための「チェック表」を作成致しました。これは、いつ頃打合せをし、その際に何をチェックするか、などの段取りから確認すべき点までを細かく書き出したものです。
これにより、この仕事に関しては、私が不慮の事故で死んだとしても、社員が今までの段取りが分からなくても仕事が引き継げる様になりましたので、これまた安心です。
何にせよ「自分を信じてはいけない」という事を改めて認識した一件でした。
そうなんですよねー。
私は基本的から応用まですべてを通して、人間として思慮の浅い人間なのですよね。
「まあ大丈夫だろう」なんて調子に乗って良い人間では無かったのですよね。
いやーこんな怖い思いをしたのは久し振りです。
本当に泣き出してしまいそうでした。
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