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■[第198回] 営業車 −H16.3.31(水)−

本日は繁盛屋の年度末です。(3月決算なもので)
まあ年度末というのはあまり関係無いのですが、月末なのでもーバタバタです。
そしてその上に昨日も書きました消費税内税表示のためにドタバタでもあります。
という事で本日の日記は三月末に相応しい「営業車」について書きます。(ツッコミは不要です)
さて、どうも私の好みなのか性格なのか、またはこだわりなのか精神的な欠陥なのか、営業車が苦手です。
何が苦手かと言いますとあの無機質な空間がダメです。
まず軽自動車や小型車が体重170キロを超える私にはダメです。(経済的にお得なのはよく分かりますが)
そして大抵がラジオしかついていない、またはせいぜいテープデッキが付いているくらいでテレビっ子の私には辛かったりします。
本当に営業車で営業に周られている方には頭が下がります。
私は移動していても楽しくない空間というのがとても苦手です。
なので出張する時も乗っていても何も楽しくない新幹線より、乗っていて楽しい自分の車で移動する方が好きです。
本当に現在営業車で動かれている方は、「よくもまあ、お客様の所に行き話をした後にまた別のお客様のところに行く気になるなあ」と思います。
私が車に戻っても「ほっ」としない営業車で動いていたら、移動する度に間違いなく海でサボってしまいますね・・・。
確かに会社として考えると維持費も、ガソリン代も安い軽自動車や小型車にしたいというのは分かります。
また「仕事なのだから楽しくなくても良いだろう」、「営業車にお金を掛けてもしょうがない」というのもよく分かります。
でも私はダメなんですよね。
車に戻って無機質な空間に押し込まれるのが。
やっぱり車に戻って「ほっ」として、「移動が楽しい!よし次に行くぞ!」となりたいです。
繁盛屋の営業はほとんど移動で1日が過ぎると言っても過言ではありません。
30分掛けて行って話は5分。そして30分掛けて帰ってくるなんていう場合があります。
(まあ、実際は一件のお客様の所だけ行くというケースはほとんどありませんが)
その移動がつまらなかったり、苦痛だったりしたら仕事に対する気が抜けてしまいます。(何度も書きますが私はですよ)
という事で、繁盛屋はトラックなどの作業車は別にしまして、営業車は乗っていて楽しい車、車内に戻りたくなる様な営業車にしたいですね。
それは確かに会社としては無駄な経費であったり、経費削減の対象に真っ先にするべきものなのかも知れませんが、私は営業マンの「気合」や「やる気」が出せるためにも、せめて移動中くらいはリラックス出来る状態にしてあげたいと思います。(実はそっちの方が会社のためになるかもしれません)
まあこれから何台の営業車を繁盛屋が使う様になるのか分かりませんが、とりあえず戻りたくなる様な、車に乗って移動したくなる様な営業車にしたいと思います。
※ラジオを私はまったく聞く習慣がないもので、本当はラジオは充分以上満足出来るのかもしれませんが。
ただもし問題があるとしたら、あまりに居心地が良すぎて逆に車中でサボってしまったり、楽しさに浮かれで事故を起こしてしまう可能性があるという事ですね。
まあ繁盛屋の社員でそんな不心得者はいないのでいらぬ心配しょうが・・・。

■[第197回] 内税方式 −H16.3.30(火)−

四年くらい前(多分)に看板の仕事をさせて頂いたお客様より今朝電話がありました。
用件は消費税の総額表示のための料金の貼り替えです。
話をしている中でお客様に「どれ位直すかによるとは思いますが、料金はいくら位掛かりますか?」と聞かれました。
看板の仕事というのは一概に「料金は○○です」と言えませんので「見てみない事には何とも言えませんが、今回の消費税の料金表の修正に関してはとにかく安くする様にしています」と伝えました。
※看板は設置場所・材料によってかなり金額に差が出ます。例としては、同じ看板でも1Fと7Fの外に付いている物を取替える場合、掛かる手間も時間も大分違うというのがお分かり頂けるかと思います。(外から取り替えるしかない場合)
話は戻りまして、今回の消費税外税方式に伴う表示方法の変更はお客様が望んでする事ではありません。
官僚による「消費税に対しての意識を薄めて18%までちょろっと持って行こう」という小ずるい考えのせいで仕方なくやらなくてはならない事です。
そんな官僚の悪巧みに乗って商売をする訳には行きませんので、商売としては辛かったりしますが、繁盛屋としてはとにかくお客様の負担にならない様に利益を度外視してやらせて頂いております。
それにしても官僚の知恵の浅さ、腹黒さが見え見えの理由は本当に馬鹿らしくなりますね。
でも何年後かには本当に官僚が企んでいる様に、一般市民の「消費税の税率に対しての意識」が無くなる様な気がしないでもないですね。
昔から人は環境に慣れてしまうと現状について特に考えなくなりますからね。
まあいくら文句を言っても官僚様には逆らえませんので、年貢だと思って諦めるしかないのでしょうね。何と言っても逆らった日には税務署から警察まで敵にまわしてしまいますから・・・。
しかし本当に国って良い商売ですよね。
商品の値段を自分で勝手に決めて、いらないと言っても渡して、お金を払わなかったら逮捕したりするんですからねえ。しかも商品に対しての責任は一切負わないし。
それでいながら「赤字経営」って・・・。
どれだけ愚かな経営者だったら出来るのか本当に不思議ですね。
とりあえず、ふざけた官僚でも国の決めた事なので、日本の会社として尻拭いをしなくてはなりません。
とにかく少しでもお客様の負担が軽くなる様に頑張ります。

■[第196回] ミスとクレーム −H16.3.29(月)−

本日は繁盛屋の厄日なのかミスの連続でした。
測ったシートのサイズを間違える、修正シートの思い込みによる間違い、先日店舗内装をしたお客様より「ガラスにヒビが入っている」との連絡・・・。
いやー何でしょうかねえ???
しかも全部同じお客様で、その上一人によるミスではなく、すべて別の人間によるものです。
(そのうちの一つは私のミスです。えへへへ)
繁盛屋をはじめてから度々クレームを受ける事があります。
そう言えば話は変わりますが、先日本屋さんで「クレームなんたら」とかいう本をパラパラとめくって立ち読みしてみました。
まあーこれがまたくだらないの、くだらなくないのって・・・。
よくまあこんな本を出すものだと呆れると共に、パート2まで出す出版社、そしてそれを買う人がいるものだと不思議に思いました。
まあ今回の場合は、クレームというよりミスが事前に発覚したという話ですが(ガラス以外)、クレームに対してどう接するか?というのは商売をしている者、営業をしている者にとってはかなり重要な問題です。
こちら側に完璧なまでのミスがあれば話は簡単なのですが、そうではない場合はどの様にすれば良いのか?
繁盛屋では今まで仕事をしていて不思議な事に「どう考えてもいちゃもんだな」というクレームがあった事がありません。
すべてこちら側のミスによるクレームですので対応は非常に楽です。
(そう考えると繁盛屋のお客様は良い人ばかりですね。有難う御座います。いや本当にです。)
ただ世の中には「それはどう考えてもおかしいだろ?」というクレームがあるみたいです。
以前、ある住宅会社の社長とある会てお会いした時に、懇親会の席でお酒を飲まないので「飲めないのですか?」と聞いたところ、「これからお客様のクレーム処理に行かなくてはならないんだ」との事でした。
その社長がすごいのが「住宅のクレームはもう一度出たら止まらなくなる。だから今日話して決着がつかなかったらツルハシを持っていてその家を壊してやる。建て直した方が話が早い」と言っていました。
それを聞いた時はただただ「すっごいなあ!」と思いました。
実際にクレームの度に家を建て直していたらとても会社は成り立ちませんから、かなり特殊なケースだったのだとは思いますが。(そこら辺の判断基準がクレームの対処の難しい所ですよね)
まあ、とりあえずクレームに対しては「誠心誠意」話し合いをし、言うべきことははっきりと言う、ミスに対しては素直に認める、相手の顔色次第での話はしない。という事が大事なのかもしれません。
繁盛屋ではクレームに対して誠心誠意、正々堂々と対処させて頂きますので、もし何か御座いましたらお気軽にお話下さいね。
それにしても・・・ガラスって確かべらぼうに高いんですよねえ・・・。

■[第195回] 名言ですねU −H16.3.26(金)−

本日も漫画と名言繋がりで。多分ビックリするくらい売れているのでご存知だと思いますが「はじめの一歩」という本があります。
内容はボクシングの話なのですが、その中で主人公の一歩が確か試合中だったと思いますが、トレーナーの鴨川会長に言われた言葉があります。
それを読んだ時に「おお!なるほど!」と思いましたので書きますね。
「努力したものがすべからく成功するとは限らない。しかし成功したものは必ず努力している」
どうです?良い言葉だと思いませんか?
私が以前「宅配釜飯屋」をやっている時に実は上記と同じ様な事を言われた事があります。
「努力するのは素晴らしい事だ。しかし方向を間違ったらいくら努力してもダメだ」です。
また、それ以外にもある尊敬する社長の話の中で、その社長の高校時代の就職先の話がありました。
それはその当時花形だった「石炭会社」に入社した人の話でした
学業の優秀な人は「石炭会社」へ入りました。
その社長は学業があまり芳しくなかったという事で、「石油会社」に入ったそうです。
その先はお分かりの通り「石炭」は廃れ、「石油」は隆盛を極めました。
最後に「いくら努力しても方向を間違えてはいけない」と聞いた様な気がします。
ついつい私の様に「楽へ楽へと行こうとする人間」は「努力していればそのうち良いことあるさ!」なんて、その努力の先を見ること、考えることを面倒臭がってしまいます。
努力するだけではダメだという事なんですね。
しかし成功するためには努力しなくてはならない。
そう考えると「努力する」というのは当然すべき事なんですね。

■[第194回] 名言ですね −H16.3.25(木)−

多分結構売れている漫画なのでご存知かも知れませんが、「BECK」という本があります。
内容はバンドの話なのですが、その中に若くして大スターになり自分の置かれている立場、環境について行けず自殺してしまうロックスターの話があります。
そして漫画の主人公たちがアメリカに行った際に、その自殺したロックスターの家に行き、上記の様な話をした時に、一番ひ弱そうな主人公に「スターになる準備は出来ているか?」と問い掛けます。
この言葉は格好良いですよね。
確かにスターにならなくても急に大金を手にしてしまったため人生をボロボロにしてしまったという話を聞きます。
どんなに素晴らしい出来事でも、それを受け入れる側に準備なり覚悟がないと、それは身を滅ぼすだけになってしまうかもしれません。
昔話でありますが、真面目な大工が酔っていた時に大金を拾う。
「これであくせく働かなくても良いぞー!」と有頂天になった亭主を見て、その奥さんが夜中にそのお金を隠して、翌朝亭主に「夢でしょ?」と話す。亭主も「良い夢見たなあ」と真面目に仕事に行く。
そして何年後かに「実は・・・」と言ってその隠していた大金を差し出す。
それを見た亭主は最初「ふざけた女房だ!」と怒るが、その後に「いや、有難う」と考え直す。
そして「あの時に夢だとしなかったら、自分は仕事も辞めてお金が尽きるまで遊び呆けていたかもしれない。そうなったら真面目に仕事するのがバカらしくなり身を持ち崩してしまっていた。何て有難い女房だ!」となります。
これは真面目にコツコツ働く事が一番大事だという意味と、どんなに素晴らしい事でも準備や覚悟が無ければそれは不幸への道だという意味があります。
「スターになる準備は出来ているか?」というのは本当に深い意味が含まれていて、何だか格好良い言葉ですよね。
私も社員に「素晴らしい社員になる準備は出来ているか?」と問い掛けてみる事にしましょう。その前に「安月給でも」という言葉を付け加えて。
(ところで、私はスターになったり、大金を拾ったりする準備も覚悟も出来ているんだけどなあ・・・)

■[第193回] 見えない壁 −H16.3.23(火)−

実はここだけの話ですが、最近「見えない壁」に悩まされていました。
その悩みときたらすべてに対して無気力になってしまい、自分が誰なのかも分らない位で、一瞬「おっ!?これが噂に聞く鬱病というやつか?」なんて思ってしまった位です。えへへへ。
それというのも、次の壁(目標)がはっきりと見えなくなっていたからです。
これがまあー!辛いの辛くないのって!
「人は歩みを止めた時に年老いて行くのだと思います」という猪木の引退セレモニーが思い浮かぶほどでした。
ところがその見えない壁から脱却しつつあり、気力がみなぎってきました。(単純なスランプだったのですかねえ?)
その理由と言うのも目標が(とりあえずながら)立ったからです。
この目標(壁)が見えてきた事によって、その目標を達成するためにどうすべきか考え、行動していけますからねえ。
ここで少し話はずれまして、意外と短期間で復活するものなんだなあと自分にビックリしています。
見えない壁や悩みから脱却するのって意外と簡単な事なんですね。
自分の立っている場所を考える(安心してのんびりと悩んでいられない事を再認識する)、そしてとにかく行動する(仕事に全力投球する)。
これさえ勘違いせずに続けられるならば「こんな遊びみたいな壁」は軽ーく乗り越えちゃえるものですね。
まあ自分の中ではひとつ大人になったかな?なんて思ってます。えへへへ。
さて、では目標をこっそり書きますと「超安定企業」です。
そのために必要なものは「一社頼りはしない」・「お客様を増やす」・「会社資産を増やす」・「常に進化し続ける事業内容」です。
という事は「地道な営業活動(現在のお客様のバックアップ強化、新規開拓)」・「資金の活用(株などを運用するのではなく設備投資)」となります。
それと同時に「新ビジネスの立ち上げ」または「既存事業の強化」をして行きます。
それをまた具体的に・・・となりますと、いつまで経ってもこの日記は終わらないのでこの辺で止めておきますが、やりますよー!やってやってやりまくりますよー!
見えない壁が実は見えないのでは無く、「ただ単に無かった」のだと気付いた私は、「右往左往していた自分が恥ずかしーい!」という反省と、「思ったほど自分はバカじゃなかったんだな」という(おそらくは「いやそれは勘違いしてるだろう?」と突っ込まれるであろう)思いでいっぱいです。
では今回復活した私が、次はいつどんな時にまた悩むのか?壁にぶつかるのか?を楽しみに今後の繁盛日記をお読み下さいませ。
また事後報告ですがさせて頂きます。
皆様の中で「おっ!今スランプじゃないのか?」と思われた方は、掲示板またはメールにて応募をお願い致します。
正解者には私から「めくるめく○○の世界」または「繁盛日記一日執筆権」をプレゼントさせて頂きます。
※それでは予想を立てつつ今後の繁盛日記をお楽しみ下さいませ。

■[第192回] 当然ですが −H16.3.22(月)−

いかりや長介さんの訃報を友人からのメールで知りました。
何だか「えっ!?」というショックと「だろうなあ・・・」という妙な納得感がありました。
そして本日移動中にテレビから「長さん特集」がどの番組からも流れていて、色々と考えました。
昔は(と言っても私の子供の頃は)、親に「そんな番組を見てはいけない」、「テレビは一日2時間まで」と叱られた様な気がします。
実際に、兄弟と時間をうまく使い分けて合計何時間も見れる様にしたり、それが禁止になり兄弟は見ているが自分のテレビ時間を使い切ってしまい台所で音だけを聞いていたりしました。
そんな事を思い出していた時にふと「今の子供はどうだろう?」と考えました。
いまだに親に「そんなテレビを見るのはやめなさい!」という番組はあるのだろうか?
今もゲームではなく「テレビを見られる時間」を決めている家庭はあるのだろうか?
家庭に一台しかテレビが無くその周りに家族が集まったりしているのだろうか?
我が家に置き換えて考えてみると、「子供がそんなテレビを見るものじゃない!」というのは、浮気だ不倫だという様な番組だと見せません。
子供はテレビ以上にゲームに夢中で、ゲームに対しては時間を決めていてもテレビ時間は無いです。
テレビの台数は寝室に一つ、居間に一つ。私がテレビを見たくて、子供がゲームをしたい時は寝室のテレビを居間のテレビの横に運ばせてやらせます。
今大人になって考えてみると、好きなだけテレビは見られる嬉しさ、どんな番組でも見られる嬉しさ、寝室で寝ながらテレビを見られる嬉しさ、というのは子供の頃に我慢していたから感じられるのでしょうね。
本当に「親の教育のありがたさ」を、いかりや長介さんに思い出させてもらいました。
人に貸しているDVDを返してもらって、もう一度「おいっーす!」を聞こうと思います。
それにしても、こうやって人生が終わっても人に思い出してもらえる、しっかりと「生き様が残る」という人は、例え死んでも死なない生き方の出来た偉大な人ですね。
いかりや長介さんのご冥福をお祈り申しあげます。

■[第191回] パクリ疑惑 −H16.3.19(金)−

何だか繁盛日記に不穏な噂が流れています。
その噂というのが「繁盛日記の元ネタはとくダネのオープニングである」といものです。
これは非常に由々しき問題でありますので、はっきりさせておきますと「とくダネ」は元ネタではありません。(いや本当に!)
この噂の元は「本人が言っていた」、「とくダネと同じネタだった」というものの様です。
多分とくダネのオープニングが新聞記事からなので被る日があったのでしょう。
確かに今朝も新聞の一面広告にソニーのロボットの話があって、「これは面白いなあ」と思っていたらとくダネのオープニングで使われてしまいました。
パクリ疑惑の流れている所で、またネタが被った日には「やっぱりね!」と言われてしまいますので、オープニングを見た瞬間に「ちきしょー!もう書けないじゃないか!」と思ってしまいました。
(ここで繁盛日記の元ネタをはっきりさせますと、「新聞」と「ヤフーニュース」が多いです。)
まあ何にせよ、疑惑を払拭させるためにも、これからは毎朝「とくダネ」をチェックしなくてはならなくなりました。
もう一つの噂の元の「本人の口から」というのは、どうもよく覚えていないのですが、そんな事を言った様な気もするなあ・・・。
何でそんな事を言ってしまったのだろう???
まだまだ考えも無しに言葉が口から出てくるとは甘いですね。
寡黙な男を目指しているのに・・・。

■[第190回] 二日酔いですみません −H16.3.18(木)−

社会人にあるまじき話で大変恐縮ですが、二日酔いによる体調不良のため、本日の日記はショートバージョンでお届けさせて頂きます。
明日の日記はレギュラータイプに戻します。(三日酔いでなければ・・・)
私事でまたもや恐縮ですが、本日私の長男の12歳の誕生日です。
前回同様、両親・先祖に感謝する様にと言う予定です。

■[第189回] 営業代行 −H16.3.16(火)−

本日からトップページのリンク集に「ペットフォトジェーピー(http://www.petphoto.jp/)」様が加わりました。
まったくもって恥ずかしい限りなのですが、この繁盛日記にたまに出てくる我が家の「どんと」がワンニャンコンテストにおまけで出ています。厳しい躾によってどれだけ傷だらけの顔になっているのかを興味のある方はご覧下さい。
さて、最近「営業代行」のお話を頂く事が多いです。
「営業代行」にも二種類ありまして、「繁盛屋としての営業代行」と「営業代行だけ」があります。
これはどういう事かと言いますと、「繁盛屋としての営業代行」は対象となるお客様(繁盛屋から見た)が会社やお店。
「営業代行だけ」は一般家庭向けの商品・サービスという事です。
繁盛屋としましては出来る限り、お話のあった会社様のお役に立てる様にしたいと思っておりますので、「繁盛屋として」の場合は最低でも現在お付き合い頂いているお客様で「有効に活用出来そうだ」という会社やお店に営業をします。
また、テレアポ、飛び込みといった営業活動を致します。
「営業代行だけ」といった場合は、一般家庭への営業活動を繁盛屋として現在行っていないので、一般家庭とお付き合いをしている会社やお店に営業を致します。
ここから繁盛屋の営業ですが、もし万が一、間違って、嫌々ながら、この日記を読まれていて「営業代行」を頼んでみたいという方がいらっしゃる様でしたら、いたずら気分でご連絡頂けます様お願い致します。
ただ正直なところ「営業代行だけ」は直接エンドユーザーに繁盛屋として営業をする訳ではないので弱いです。
ですが、そのため「営業代行だけ」の場合は「成功報酬のみ」という形を取る事が多いので気軽に問い合わせてみて下さいね。
何とか少しでもお力になれる様に頑張ります。

■[第188回] 山岡鉄舟 −H16.3.15(月)−

皆様は幕末三舟ってご存知ですか?
勝海舟、高橋泥舟、山岡鉄舟の三人です。
私が何度も読み返す本というのはそんなに多くは無いのですが、南條範夫著「山岡鉄舟」はその中の一冊です。
先日、何度目かの山岡鉄舟を読み終わりました。
まあーこの鉄舟は格好良いのですよね。
多分男であれば誰しもが憧れる様な「男らしい男」の様な気がします。
・嘘をつかない。(方便も無しです)
・剣術家で本当の達人。
・私利私欲では動かない。
・頑固なまでに男らしい。
・女好き(普通の女好きとはちょっと違いますよ)
まあ、とても私には「山岡鉄舟の生き様」を日記に書けるほど理解しているとは思えませんので、もし「読んでみようかな?」という方は今では絶版になっておりますが、探して読んでみて下さい。(インターネットで細かく調べると手に入ると思います)
私は本を読んでいて「おっ!」と思うところには、書き込みや、アンダーラインを引くのですが、今では何度も読み返しているので汚くなっています。
不思議なもので「おっ!」と思う場所というのは読む度に変わるんですよね。
話は少しそれますが、このアンダーラインなどを引いておくと読み返した時に、「前は自分はここで引いたのか」とその当時の自分自身が見えます。
それと勘違いと言われそうで恥ずかしいのですが、「今回は違う所で引くという事は、少しは成長して来たのかな?」と思ったりします。
その外にも「竜馬がゆく」、「坂の上の雲」、「三国志」、「蒼き狼」、「豊臣秀長」、「功名が辻」、「国盗り物語」、「播磨灘物語」、「峠」などがお勧めの本ですので是非機会がありましたら読んでみて下さい。
きっとアンダーラインが引きたくなる本ばかりだと思いますよ。
ちなみに私は女性に本を薦める際は「功名が辻」を最初にお勧めしています。
(この本の主人公?の千代という女性が素晴らしいもので)
男性の場合はタイプを見て「国盗り物語」か「竜馬がゆく」のどちらかを勧めます。
(理由は色々あるので書きませんが、どちらも本当に面白いですよ)

■[第187回] 目的地まで −H16.3.12(金)−

何だか久し振りに精神的にあせっております。(具体的ではないあせりという話です)
私があせっている時というのは大抵仕事が順調で、結果が出せている時です。
自己分析してみますと、どうも満足する自分が「嫌い」または「怖い」みたいですね。
満足してしまうとついついだらけてしまうのではないだろうか?
「これで良いな」と安心して向上心がなくなるのではないだろうか?
と自分自身が心配になります。
なので勝った訳ではありませんが「勝って兜の緒を締めよ」と「好事魔多し」と「人間万事塞翁が馬」という言葉をしっかりと胸に入れて頑張ります。
考えてみますと、目的地はまだまだずーっと遠くにありますので、この程度で立ち止まっている場合では無いですね。
よし!!
頑張ろう!!

■[第186回] オンデマンド −H16.3.11(木)−

今の出版社はすごい事をしますねえ!
今日私の好きな青柳裕介という方の本を注文しました。
その本が何と!注文を受けてから印刷する、しかも注文があった分だけ印刷するオンデマンドブックです。
これは既刊の本をスキャニングし、それを製本し納品してくれるみたいです。(多分)
出版社としてみれば、これにより在庫を抱えずに済み、「版」を探す・残す必要も無く、その上一度に大量に印刷する必要も無い。
今までオンデマンド印刷と言うと「小ロットの印刷物を作りたい」という時だけだと思っていましたが、こんな使い方があったとはビックリしました。
まあ思いついたとしても著作権があるので普通の人は印刷できませんが、その大元である出版社がやってくれる。
という事で、絶版になっており手に入らないため古本を探さなくてはならなかった本が、本当に簡単に手に入ります。
しかも面白いもので、版が無くなっていたりしても一冊その本があればいくらでも増やす事が出来ます。
「スキャニングして」なので当然汚れも一緒にスキャニングする事になりますので(まああまり酷いのは処理するでしょうが)、何だかドラえもんのフエールミラーみたいですね。
(でも考えてみるとコピー機があるのだから、こっそり一人製本なんて言うのは以前から出来たのでしょうね。)
現在はまだまだオンデマンドコミックスの種類は少ないみたいですが、これからどんどん増えていったら嬉しいですね。(私は内容さえ読めれば良いので)
そうしたら「のらくろ」も全部読めるようになるかなあ?
楽しみだなあ!!

■[第185回] アメリカの悩み −H16.3.10(水)−

先日あのアカデミーショーいや違いました、アカデミー賞の受賞作である「アメリカンビューティー」を見ました。(すみませんネタが非常に古くて。えへへへ)
前評判では社員曰く「非常につまらない」という事だったのですが、私の見た感想は面白かったです。
何が「ビューティー」なんだろう?と見終わった時に思ったのですが、多分あの映画の中に出てくる人の、心の葛藤「子供との不和、夫婦の不和、子供の悩み、薬、浮気、体型、仕事、etc」が、現在のアメリカ人が持つ悩みの一つや二つを現していて、それをブラックジョークとして「ビューティー」としたのでしょうか。
そして、その悩みのすべてをまとめた映画だからアカデミー賞を取ったのかな?と思いました。と、書いていて思ったのですが、もしかしてアカデミー賞とかで話題になった時に上記みたいな解説がついていました?
(そうだとしたら今更日記に書いている自分が恥ずかしかったりします。えへへへ)
まあ、何にせよあの映画に出てくる「悩み」は、日本人の私には分らない部分もありますが、なかなか面白く見れました。
このままアメリカの思考方法を真似していたら、日本もあんな悩みを持つ様になってしまうのかなあ?
意外ともうなっていたりして・・・。いや、まだ私の周りにはいないな。多分・・・。

■[第184回] 金、金、金 −H16.3.9(火)−

あまりにもバカらしい地方ニュースを聞いたので書いてみます。
皆さんはもし今突然「あなたに100万円あげるよ」、「1000万円あげるよ」と言われたらどうします?
意味もなく、何かの報酬でも無いとしたら。
または、君が気に入ったからという理由だけだったりしたら。
私はお断りします。
意味の無い、訳の分からないお金は絶対に受け取れません。
私の今の生活は満ち足りた生活でもないですし、欲しい物もたくさんありますし、お金はあっても困らないとは思いますが、そんな金を手にした瞬間に自分がダメになるのが分ります。
それが平気で出来る様になったら最後は30億の宝石を泥棒してもおかしくないですからね。
「捕まらなければ金は金じゃん!」となってしまうでしょうから。
何でみんなそんなにバカみたいにあぶく銭に群がるのでしょうかね?
私は決してお金が汚いものだと思いませんし、お金で解決できる事が人生では9割以上あるというのもよく分っています。
それでもそのお金というのは「あぶく銭」ではないと思います。
しっかりと地道にコツコツとお金を貯める。
一所懸命仕事をしてその報酬としてもらう。
その金額を増やしたいとは思いますが、ただ単に金の0が多いほど幸せだとは思いません。
関係無いかもしれませんが、
江戸時代に浪人となって食うや食わずやの侍がいました。
最後は餓死して死んでしまいます。
そしてその餓死した侍の長屋の部屋を探すと具足櫃に小判が何枚も入っていました。
その侍というのは「もし今何かあったら具足を買わなくてはならない、刀を買わなくてはならない」、「この具足櫃のお金は自分が食べられない時のために先祖代々用意していたものではない。いざという時のためにあるから使わない」という侍としての魂を持っていました。
また、別の話として幕末の長岡藩の家老である河井継之助は、官軍と徳川家の間で揺れる長岡藩を局外中立にしようとしました。
その為には武器の購入が必須であるというところから、その長岡藩にあった家宝をどんどん売り払いました。
その頃の江戸の留守居役を勤めていた人は、そうやって家宝が持ち出されるのを涙を流しながら見ていたそうです。
それでも目的のためにどんな貴重な物でも継之助は売り払いました。
そして幕府側の小栗という勘定奉行は日本国内の江戸幕府に楯突く雄藩を叩くためにフランスからお金を何万両と借りようとしました。
その担保として北海道をフランスに租借させるという話もあった様です。
こう考えると確かに長岡藩も幕府も目的のためには手段を選ばずという部分があるかもしれませんが、その心の底に一本の筋が入っているか、入っていないかという違いがあると思います。(まあどちらも官軍に負けてしまいましたが・・・)
片方は身銭を切らずに金を手にする。
片方は身銭を切って金を手にする。
そして使い道はどちらも「お家のため」であったとしても、今では小栗は愚か者、継之助は侍と言われています。(長岡ではそうでもないみたいですが・・・)
ここまで書いて本当に関係無いかもしれませんが、お金に対しての何となくですが私の指針になっています。
お金は手に入れば良いというものではない。
そのお金を手にするまでのプロセスが大事だと思います。
ただ、もう一つ私の好きな言葉で、上の内容と反しているかもしれませんが、「女房、子供は泥棒してでも食わす」という言葉があります。
今のところは何とか食べさせていられるので泥棒はしていませんが、最後は手段を選ばないというのも分ります。
(まあ「地道に、真面目に、努力して」生きていれば何も食べられないという事にはなりませんからね。)
それでも自分の快楽、くだらない欲望のために訳の分からない「あぶく銭」だけは手にしようとは思いません。
例え、お金に名前や手に入るまでの過程が書いていなくとも「金は金だよ」とは言えません。
(過程のしっかりとしているお金、仕事で増える0の桁は大好きですよ!)
生意気で恐縮ですが、日本人はもう一度「お金を稼ぐ」とはどういう事なのか考え直す必要があると思いますね。

■[第183回] 切ないですね −H16.3.8(月)−

浅田農産の会長が自ら命を絶つという方法で亡くなりました。
この話を聞いてから私の中で「自分だったらどうしただろうか?」と悩みました。
私は常日頃から最後は切腹して自分の人生を終わらせようと思っています。
以前一度知合いにこの話をしたところ、「自殺は残された人が辛いのでやめた方が良いよ」と言われた事があります。
そこで私は自殺と切腹はまったく違うという事を説明しました。
それは「人生のけじめ」と「逃げ」の違いです。
今回の件については死者を鞭打つ様で申し訳ありませんが「逃げ」でしかありません。
確かに自分が死ぬ事で解決する事もあるでしょう。
しかし今回の場合は、ただ弱ってしまって死というものに逃げ込んだだけです。
自殺は卑怯な行為です。
確かに会長の心境を考えればとても辛かったと思います。会社を守りたい、社員を守りたい、今の状況でインフルエンザだと認めるくらいなら何とかごまかしたい・・・。
天災を人災にしてしまった辛さもあったのでしょうが、だからと言って逃げて良いという話ではありません。
しかし本当に自分自身がその状況になった時に逃げないでいられるか?
会社が倒産して行く姿、社員が生活できなくなる姿、家族が後ろ指を指される姿、日本中に迷惑をかけた自分の姿。
その姿を見続けた上でごまかし、逃げようとした自分を許し、責任を取れるかどうか?
すみません。
今、私には「どんな辛さを味わっても責任を取る」と、そうありたいとは願っていますが言えません。
辛さも分らぬ私がこの様に偉そうに書いてしまい申し訳ありませんが、今はただ「死ねばみんな仏様になる」という言葉しか思い浮かびません。
浅田農産会長夫妻のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

■[第182回] 宝石泥棒 −H16.3.5(金)−

移動中に銀座の宝石強盗ニュースを聞きました。
すみません。本当に不謹慎で申し訳ないのですが、ついつい一瞬笑ってしまいました。
宝石四個で35億円相当。一つは30億円。
どんな宝石何だ一体?
そんな30億もするものがガラスのショーケースに置いてあるのか?
ハンマーで割って掴んで逃げる?
ルパン三世か?
という様に頭が回転してしまいました。
本当に思っただけではなく、こんな日記にまで書いてしまい申し訳ないのですが、もうただただ30億円の宝石があるというだけでビックリ。
しかもそれをハンマーだけで手に入れるのにビックリ。
まだ犯人が捕まらないのにビックリです。
まあ、このまま犯人が捕まらなければ一番の被害者は保険会社でしょう。
でも保険会社は保険料を貰っているので仕方ないですね。
今聞いた話では用意周到だったみたいですね。
二度くらい買い物をしておいて、前回は3階まで案内される様になって、そして今回ハンマーでガシャンと割って掴んで逃げる。
それにしても日本史上最高金額の強盗らしいですが、あまりにも金額が大きすぎるので映画みたいな話ですね。
三億円事件があった時もこんな感じだったのかなあ?
犯人はどんな人間なんだろう?

■[第181回] 躾と暴力 −H16.3.4(木)−

昨晩、我が家のどんとがちょっと目を離していた隙に座布団の上で水溜りが出来る位の粗相をしました。
最初は膝に乗った時に「何だか冷たいな?」とは思ったのですが、そのまま気にせずにいたところ、何だか濡れている様だぞ?と思いコタツ布団を見ましたら案の定濡れたシミが・・・。
その場で一瞬にして厳しい飼い主の顔つきになった私は犬の頭をぱちんとはたきました。
そしてその後ふっと斜めに合った座布団に目をやると最初に書いたように座布団の窪みに大きな水溜りが。
あまりの水量だったので「あれ?缶ビールをこぼしたかな?」と思ったくらいでした。
しかしそんな事は無かったので、それを見てもう一度頭を「ぼかっ!」と。
その衝撃たるや四足で立っていたどんとのあごが床にぶつかるくらいでした。
そして逃げ出しましたので、おいかけて蹴りを一発おしりにお見舞いです。(30mは飛んでいきました)
さて、この話を聞いてどう思われますか?
「動物虐待?」、「暴力的な男?」、「犬が可哀想?」。
違うのです。これが「躾」なのです。
最近では日本の誤った教育方法からか「躾」と「暴力」を混同しています。
面白いもので、犬の飼い方の本にも悪い事をしたら「口で言って下さい」それでもダメなら「おしりを軽くポンっとして下さい」と書いてあります。
そして申し訳無さそうに細い字で「動物の躾ではたくのは悪い事ではありません」とも書いてあります。
悪い事をしたら叱られる。
これが当り前です。
では口で言っても理解叱っても分らなければどうしますか?
例えば言葉を理解できないとしたら。赤ん坊も動物も言葉を理解しません。
多少大人になればニュアンスであったり、雰囲気で本当に少しですが理解するかもしれません。
しかしまだ言葉だけでは理解できない場合には躾として「はたく」という行為が必要です。
どうも「躾ではたく」と「暴力」が「=」で結ばれている様な気がします。
これが今の子供の虐待に結びついている部分があると思います。
躾とは何か?が分からない。
暴力とは何か?が分からない。
「叩けば何でも暴力」、「暴力を振るっておいて躾だと言い張る」。
我が家では子供でも頭をぽかりとはたくなんて言うのは当り前です。
最近は反抗的になってきて、はたいても止まらない。するともう一発もう少し強くはたく。それでも止まらない。するともっと強くはたく。
そし子供心に「ああこれ以上反抗してもダメだな」と思う。
またこれを読んで「子供が可哀想だ」、「子供の気持ちが分かっていない」と思われるかもしれません。
しかしよく考えてみて下さい。
私も昔は子供でした。子供は大人の気持ち、感じ方を理解出来ないかもしれませんが、大人は子供だった時があるのですから気持ちも感じ方も理解出来ます。
というとまたまた反論として「あなたはあなたで、子供は子供。気持ちや感じ方は違う筈だ」と言われるかもしれません。
それはそうです「私は私であなたはあなた」です。
しかし私であろうが子供であろうが守るべきもの、大事にしなくてはならない事は同じです。
なので、例えばゲームをしていて「そのキャラの動かし方が違う」と言ってぽかり、本を読んでいて「くだらない本だ」でぽかり、とはしません。
「ゲームのやり過ぎだからもう止めなさい」と言う。聞かずに続けているという事でぽかり。
「本を読む姿勢が悪い」、「本を跨いではいけない」と言う。聞かずにいるとぽかりです。
それで私は良いと思います。
大人になれば誰も叱ってくれなくなるでしょう。
例えば、大人になっても「まともに箸を持てない」、「咀嚼の音を出す」人がいます。
誰も注意できません。
こう言ってはまた「何を!」と言われるかもしれませんが、私はそういう人を見ると「ああ可哀想に。子供の頃にしっかりと躾をしてもらえなかったんだな」と思います。
大人になっても恥ずかしくない様に親は子供を躾けます。
家族の一員としていられるためにどんとも躾けます。
それは決して「自分の思い通りにさせる」という事や、気に入らないではなく、最低限のマナーやルールを教えてあげるという事です。
最後にひとつだけ言いますと、人間は教育しなければ人間にはなりません。躾けは大事な教育です。
※ただし暴力と躾けの区別のつかない人は躾けをしてはいけません。まず人を躾ける前に自分が躾けを受けなくてはなりませんから。
と、ここまで書いてふと思ったのですが、私の子供は二人いてどちらも男です。女の子がいないので女の子の躾けで「ぽかり」があるのかどうかは分らないですね。
もしかしたら女の子は「ぽかり」が無く育ち、それによって躾けと暴力が混同したりしているのかなあ?
自分は「ぽかり」とされなくても立派に育った、口で言えば分ったということで・・・。
うーん・・・いや性別関係無く子供の頃に「ぽかり」の一つや二つはある筈だな。記憶に無いだけで。

■[第180回] 反省です(2) −H16.3.3(水)−

すみません。
私は恥ずかしながら勘違いしておりました。と言うよりもバカにしていました。
本当に自分の思慮の浅さに恥ずかしく思っております。
えっ?何の事だ?
あーすみません、それを先に話さなければでした。
それは鳥インフルエンザの件です。
私はてっきりただの鳥の風邪の話だと思ってました。
マスコミや世間一般が大騒ぎしているのは、
「そのインフルエンザウイルスが人間に移るのではないか?」
「病気の鳥を食べさせる気か?」
という事だと思い、テレビでニュースを見る度に「くだらないなあ」と思っておりました。
ところが今回、7000羽が死んでいたという話を知り自分の考えの甘さを痛感しました。
恐ろしいですねえ。
もしそのまま放っておいたら日本中の鳥、世界中の鳥が死滅するのではないか?という位の規模の話だったのですね。
この地球上から鳥がいなくなる・・・。
うちで飼っているインコのぴーこ、九官鳥のきゅうちゃん、鷹のまもるくん、とんびのびんこちゃん、ダチョウのだーちゃんもインフルエンザで死んでしまう。
ただの神経質な人の話ではなかったのですね。
生態系の崩壊さえももたらすかもしれない話だったとは思いもせず、「ただの病気だろ?」と思っていた自分が恥ずかしいです。(本当です)
まあ、私の考えが改まったからといって、インフルエンザがどうなる訳ではありませんが、私と同様に「大した事ないだろ」と思っている人には、「いやいやそうではないのですよ」と話すつもりです。
それにしても一日?かよく分かりませんが一気に7000羽の鶏を殺すとは恐ろしいウイルスですね。
一つだけ疑問があるのは、24万羽の工場で7千羽死んでいた訳ですが、もしそのまま「鳥インフルエンザ」だと認めずにいたらどうなっていたのでしょう?
残りの23万3千羽も死んでいたのでしょうか?
それとも24万羽のうちたまたま弱かった7千羽が死んだだけだったのでしょうか?
これ次第では大分また問題に対しての考え方が変わってきます。
もし後者であれば運が良ければぴーこやきゅうちゃんは滅せずに済むやもしれません。
前者であれば滅せぬ者のあるべきやです。
実際のところどうなんでしょうねえ?
ウイルスに感染した鳥はおしまいになるのでしょうか?
それとも感染した何割かが死ぬのでしょうか?
どうもよく考えてみると何割かが死ぬっぽいですねえ。
という事は、養鶏業者・鳥好き・鳥肉大好き以外の人にはそんなに牛肉と一緒で問題無いという事なのかな?(上記の人たちには死活問題であり大変な問題ではあると思いますが)
いや違うなあ、それでも地球上の鳥の何割かは死んでしまいますものね。
やっばりこれは大変な問題だな。うん。
本当にマスコミの報道を初めからバカにするのは良くないなと反省しております。
(何だか今月に入ってから「反省日記」みたいになってますね・・・)

■[第179回] 反省です −H16.3.2(火)−

最近、私自身の仕事の対応が遅い様な気がします。
どうも後手後手に周り、あれはどうなった?と言われる事が多々あります。
本来であれば話が出る前にこちらから話をしなくてはなりません。
このままでは「不信感を持たれてしまう」のではないかと心配です。
まあ、大抵本人が気付いた時にはすでに手遅れであり、不信感を持たれている状態だと思います。
これはマズイですね。
頭を切り替えて仕事に取り掛からなくてはです。
(正直なところ二月が終わって、ちょっと気が抜けている様な気がします)
という事で、少しでも信頼回復に務めるために、溜まった仕事に取り掛かりますので今日の日記はここまでです。すみません。

■[第178回] 反省しない男 −H16.3.1(月)−

どんなに時の流れに逆らおうと思っても、必ず時間は過ぎていきます。
2月の頭頃から「どんなに苦しもうと、どんなに楽しもうと、どんなに心配しようと必ず三月はやって来る」と自分に言い聞かせていましたが、やはり私の思った通りでした。
「怒涛の2月」が過ぎ、本日からは「おおわらわな3月」が始まりますので、「きっと四月は来る!」と信じて頑張ります。
さて、本日工事をやらせて頂いたお客様のリニューアルオープン日でした。
先週の出張もその工事の進捗状況と出来具合いを見るためでした。
そして、その上でオープン日に立ち会いたいなと思っていました。
ところが、何故か土曜日に変な事情から帰ってきてしまいました。
そして別の者が本日行ったところ、残念ながらと言いますか、案の定と言いますか、やはり直すべき点、もっとするべきだった点がいくつかありました。
こういう場合のために責任者がオープン日に立会い、その場で実際に使用した上、完成と一応なった上での話を聞かなくてはならなかったと、とても反省しています。
まあ、実際に私がいたからと言ってその場で直せるという訳でもなく、お役にも立てませんが、内容をまとめて再工事をスムーズに出来たのではないかと思います。
これがまだ新潟市内で近場であれば立ち会わなかったとしても、いつでもパッと行けるので良いのですが、遠方となりますとそう簡単には行けません。
今回、「初めての新潟県以外での工事」という事を考えれば、電柱の影から様子を見ながらでもこっそりいるべきでしたね。
こう考えますと、やはり「考えて考えて考え続けなくてはならないな」と思います。
ついつい「人に頼ってしまう」、「それでも良いかな?」と甘く考えてしまう。
運転と同様に「だろう運転」ではなく「かもしれない運転」で仕事をするべきですね。
常に色々な場合を想定して、頭をフルに回転させていかなくてはならないです。「後ろにいるのが覆面パトカーではないか?」とか・・・。
何にせよ三月のはじまりから反省した1日でした。
関係ありませんが私の非常によく知っている人で「反省しない男」という人がいます。
これは「ただの愚か者」という訳ではなく、「反省している暇があったら前進する」という意味です。
ただ、私は「後悔している暇があったら」の間違いではないかな?と思っていますのでどんどん反省します。
私の様な良い気になっている馬鹿な小僧は反省し続けないと、すぐに「ただの愚か者」になりますから・・・。
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