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■[第276回] メインバンク −H16.7.30(金)−

本日県外の業者に仕事を頼もうと思ったところ、「帝国データバンクやメインバンクに会社の実態調査をしてもらいますが宜しいですか?」と聞かれたそうです。(社員が話をしていました)
そこで、社員より「調べてもらっても良いですか?」と聞かれましたので、「どうぞどうぞ!気が済むまで調べて下さい!」と話ました。
勿論「私のプライベート以外なら」という言葉を付け加えるのを忘れずに・・・。
そしてその電話を切った後に「うちのメインバンクはどこですか?」と、また社員に聞かれました。
メインバンク?
メインバンク???
聞いた事のある言葉ではあるものの、何せまだまだ小さな繁盛屋なものでメインバンクなるものがどういう銀行を意味するのかが分かりませんでした。
(すみません。こんな私が仕事をしていまして。)
そして早速HPを調べてみたところ分かりました。
「メインバンクとは、企業の経営活動において、取引銀行の中で最も多額の融資を受けている銀行を通常指しますが、単に融資するだけでなく、その企業の決済の窓口になっていたり、株式所有や役員派遣もしているケースが多いようです。」
との事。
では、融資を受けておらず、決済の窓口もなく、株式も所有しておらず、役員派遣も無い繁盛屋にとって「メインバンク」があるのかどうか???
その場合は「メインバンクはありません」と言って良いのかどうか?
お客様から振込して頂く口座のある銀行を「繁盛屋のメインバンクです」と言って良いのかどうか?
ちなみにたった今不安でしたので税理士さんに電話して聞いたところ、「社長はどこだと思いますか?繁盛屋さんはどこでも良いですよ」と言われました。
多分、主に振込みをして頂いてる銀行、微々たるお金を預けている銀行がメインバンクで良いのですよね。
という事で、今度スイス銀行に口座をひとつ開設してそこをメインバンクと呼ぶ事にしようかと計画しています。
そして葉巻をくわえながら「振込先はいつものところで」と、鷹の様な目をして言える日を楽しみにしております。もちろんその時の私の髪型は角刈りです。

■[第275回] イベント −H16.7.29(木)−

夏は何だか飲む機会が多いですねえ。
実は昨晩も飲みに行きまして、本日の朝礼も半分酔っ払いのままでした。えへへ。
それにしても歳を取ったからなのか翌日にお酒が残るようになりました。
深酒をすると必ず翌日の午前中は酔っ払い、午後は二日酔いの頭痛に悩まされます。
「それが分かっているなら飲み過ぎなければ良いのに」と思われるでしょうが、やはり「酒は呑め呑め男なら」の黒田節をこよなく愛する私ですので、ついつい飲んでしまいます。
翌日が休みなら酔いの醒めるまで寝ていられるから良いのですが(と言っても、起きたらすぐに缶ビールに手が伸びてしまいます)、平日だとちょっと辛いですね。
とりあえず次の飲み会からは「抑えて飲む」を心掛け様と思います。
何といっても酔っ払うと暴言を吐きまくる私なもので・・・。
まったく話は飛びますが土曜日に「護衛艦」に乗ってきます。
護衛艦の写真を撮ってきますのでそれを「日記初写真」として乗せますのでお楽しみに!
ミサイル撃ったりするかなあ・・・楽しみだなあ・・・。

■[第274回] 不可解 −H16.7.28(水)−

一昨日の日記で書いた義援金の「2億円宝くじ」の使い道を福井県が決めましたね。
被害にあった世帯に一律2万円を分配するとの事。
そしてそれをするためには、2億円では足りないのでその他の義援金から9千万円くらいを持って来るとの事。
何故そうするか?という説明で以前福井沖でタンカーが沈没し、その際に集まった義援金の使途が明瞭ではなかったからだそうです。
まあその前に当然ですが、被災され困っている方達には二万円という現金を支給すれば何かしらの役に立つであろうからという話でした。
実際に被災された方達にとってはとても有難い話だと思います。
ただ、少し気になるのが「前回が使途不明瞭だったから」という話です。
今回「2億円の宝くじ」という話題性があったから明瞭にしなくてはならない。
では、もし「2億円宝くじ」が無かったらどうする気だったのでしょうか?
足りないのでプラスされた9千万円を、各家庭に一律5〜6千円で分配する予定だったのでしょうか?
そして、では残りの(いくらか分かりませんが)義援金はどうするつもりなのでしょうか?
私は今回の「文句が出ない様にすぐに分配」というのは行政の怠慢の様に思います。
例えば会社で突然何かラッキーな事があって100万円の収入があったとします。
その際に経営者が「あのお金何に使ったのか?」と言われない為に、全社員に平等に分配する。
社員にすれば「今回お金が多くもらえて嬉しいが、では普段はどうなっているんだ?」と逆に会社に対して不信感を持つのではないでしょうか?
繁盛屋に限って言えば「今回は半分の50万円は平等に分けましょう」、「そして残りの50万円は会社の為に使いましょう。何か良い使い道を考えましょう」と話します。
そして当然その会社に残した50万円を目に見える形で使う方法を、社員の要望も聞いて私が決めます。
また、税金を国が集めます。
それは少しのお金では出来ない事を、多く集めたお金だからこそ出来る事に使うためです。
決して集めた税金をの使途を明瞭化するために、一度集めたお金を平等に全国民に分配するなんて事はしません。
という事で、今回の「一律に配る」というのは、受け取る被災者にとってはとても有難いことだと思いますが、ただその分配する方の行政の姿勢はあまり良くないのではないかと思っています。
本当にこんな話では、「何だか分からないが義援金を送れば何かの役に立ててくれるだろう」、「何だか分からないが税金を納めれば何かの役に立ててくれるのだろう」という気になりませんね。(私はですよ)
明瞭化するのは良い。
それが被災者の役に立つのは良い。
しかし、その方法があまりにも「考え無し」で行うのは良くありません。
大きなお金がだからこそ出来る事を考える、有効な使い道を考えるためにこそ行政があるのだと思います。
これが最初から集まった義援金を全て被災者に一律に分配すると決めていたのならば分かりますが、「目立ってしまったから、そこだけ明瞭化すれば良いのだろう」なんて随分人をおちょくった話しだと思います。(何度も書きますが、私はですよ)
是非、残りの義援金についても明瞭にして欲しいものです。
これは福井県に限らず、すべての義援金を受け取った市町村もですね。そして今後また何か災害があり受け取ったとしても。
やっぱり送った方としては有効に使って欲しいですし、そのお金が使途不明、不明瞭と言われたらガクッとなりますからねえ。
そしてマスコミも義援金のPRばかりではなく、その後の活用の仕方についてもしっかりと報道して欲しいと思います。
誤解されると困るので何度もしつこく書きますが、「被災者に配るな」と言っているのではないですよ。
そして「一律に分配するのが良くない」と言っている訳でも無いですよ。
また、「出した義援金の使い方に口を出させてくれ」と言っているのでもありません。
行政のその「逃げ腰の姿勢」と「大して考えもせず」というのが良くないのです。
まあ、「では実際にどう使ったら良いのか?」と言われても困りますが、それを考えるのが行政の役目なので是非有効な使い道を考えて欲しいものです。(えへへ文句ばっかり言って自分は何も考えない私です。すみません)
ちょっと聞いた話で恐縮ですが、堤防の修理や道路の整備などは税金でやる物だとしたら、では実際に義援金って何のために送るものなのですかねえ?
皆様はどう思われますか?

■[第273回] 選べる商売 −H16.7.27(火)−

「お客様を選べる商売」と言うのが世の中にあるかどうかを知人と話しました。
これは時たま「あなたには売らない」、「あなたとは仕事は出来ない」というのではなく、「お客様を選ぶ事が当然」の商売・業種です。
芸術家などで大家と呼ばれるくらいになったら「貴様なんぞには売らん!」、「価値の分かる人にしか渡さん!」というのはあるのかもしれませんが、ただそれは大家だからなのであって「商売・業種」では無いです。
また、どんな商売でも中には「気に入った人にしか売らない!」みたいな人はいるかもしれ
ませんが、そんなお店はすぐ潰れてしまいます。(潰れるという事は「商売」でも何でもない訳です)。
京都の「一見さんお断り」というのも客を選んでいる様で、他の誰かに連れて行ってもらえば入れる訳です。
「本当はそう簡単には商売しないのだけれどもあなただけに、あなたなら・・・」
こんな言葉を聞くと逆に怪しいと思ってしまいます。
「客を選ぶ」なんてネットワークビジネスの常套文句ですからねえ。
「友達や知り合いとだけ商売すれば良い!」みたいな甘い話をしますから。
どんな商売、仕事であれお客様を場合によっては選ぶ事はあっても、「選ぶのが前提」という仕事はありません。
これは考えてみると「仕事とは何か」、「商売とは何か」を考えてみれば、当たり前の事なんですよね。
私の以前いた会社では「嫌いな人には売らなくて良い」と教わりました。
とても素直で「純粋」という言葉がぴったりだった私はその言葉通り受け取り、「好きな人だけに売れば良いんだな」、「それは気が楽だ」なんて考えていました。
一目見て「あれっ?何か嫌な人だな」という場合、大抵その相手も「何だコイツは」と感じます。結局仕事をしてもボロボロになってしまうので「嫌いな人には・・・という言葉なのだろう」と思っていました。
でも本当の意味は違うんですよね。
「嫌いなお客様がいたとしたらそのお客様を好きになれ」、「好きになるくらい一所懸命しろ」という事なんですよね。
好きになったお客様とならば必ず仕事の結果は良くなります。
どんな人でも好きになる事は出来ます。
なので「お客様を選ぶことが前提の商売・業種」なんてある訳無いんですよね。
私には「人間、いや!人類、いや!この地球上の生物すべて、いや!この宇宙全てが好きだ−!」とは叫ぶ事は出来ませんが、出来るだけ人を好きになろうと思っています。
それは「仕事」というのを抜きにしても同じです。
確かに「行動や言動が気に食わない」と思うときは正直なところあったりしますが、それもいつか解決すると思っています。
という事で、結論としては仕事であれ何であれ「嫌いになる前に好きになれ!」ですね。
よーし!今度異性と飲む時はこの言葉を持って挑むとしよう・・・。

■[第272回] 2億円宝くじ −H16.7.26(月)−

福井で災害に対しての義援金として2億円の宝くじが届きましたね。
いや、本当に日本人というのは立派だと思いました。
何故この送ってくれた方個人を立派と言うのではなく、日本人と言うのかと言いますと、金額では無く、それが2万円でも1千円でも100円でも義援金として送った人が日本中に大勢います。
特に「2億円」という事で今回の件が注目されてしまいますが、気持ちはみんな同じです。
「大変だろうからせめてお金だけでも」
「知り合いがいる訳ではないが、苦労しているだろうから」
この気持ちの中には「自分がもし災害にあったら頼むね」というギブアンドテイクの考えは少しも入っていません。
本当に立派ですよね。
身銭を切って被災者の手助けをする。
例え宝くじだとしてもべらぼうな高額の当選金をポンと寄付して世の中に役立たせる。
日本人もまだまだ捨てたものじゃないですね。
被災者でも何でもありませんが、義援金を送ってくれた皆様。
また、送っていなくても送るつもりに少しでもなってくれた皆様。
本当に有難う御座います!
勝手ながら「そんな気持ちの持てる日本だ」というのが分かりとても嬉しくなりました。

■[第271回] ショック −H16.7.23(金)−

うーん・・・。
本日は昨日とは打って変わってショックな出来事が多いです。
「何がどうした」とは書く様な内容でもありませんし、書いても仕方ない事なので書けませんが、何にせよ世の中ってやっぱり複雑ですね。(まあ「難しいな」と思っていた方が良い事なのですが)
何にせよ「李下に冠を正さず」です。
それにしてもあまり心臓の強くない、臆病者の私をドキッとさせる事があったり、話を耳にしたりで参っちゃいますね。
よく考えて行動しなくてはですね。
「思慮が足りない」と言うのはだけは避けなくてはなりませんから。
すみません。何が何だかさっぱり分からない様な日記を書いてしまいまして。
折角読んで頂いているのですからこれで終わる訳には行きませんので、おまけと言ってはなんですが良い言葉を聞きましたので書きますね。
先に言わせて頂きますが、このネタはパクリです。
しかも問題の出し方もパクリです。(教えてくれた人には「このネタ面白いね。今度繁盛日記に書きます」と断っているので、問題は無いでしょう。うひひ)
さて行きますよ!
[下記の○○に文字を当てはめて下さい]
○○と○○は変えられない。
変えられるのは○○と○○だけである。
多分、有名な経営コンサルタントの会社から聞いたと思うのですが、まさしく今の私の心境にぴったりでしたので思い出したので書きました。
正解はこのページの一番下「第257回」の一番下の行にあります。
お手数ですが、右にある矢印の下をずっーーーと止まるまで押して下さい。または四角の物を下にびゅーっと下げると言うのも有りです。
それではお考え下さい!

■[第270回] 清河八郎 −H16.7.22(木)−

いやあー昨日は飲みましたねえ。
今朝起きてからもまだまだ大酔っ払いと言う感じでした。
そんな時に限って何故か朝礼の三分間スピーチが私だったりします・・・。
さて、昨日は会合と言うかある顔合わせがありました。
私の中ではかなり不安もあり、期待もありの会合でした。
非常に大袈裟に話しますと、まるで薩長両藩の代表である「西郷隆盛」と「桂小五郎」の談判をセッティングした坂本竜馬の気分でしたね。うん。
そして実際に話をし始めましたら、同業種であり、同じ様に向上心があり、考える方達でしたので、面白い様に話が盛り上がって行きました。
最後には「お前は邪魔だ!二人で話をさせてくれ!」と言われ追い出されてしまい、坂本竜馬のつもりが実は清河八郎だったという落ちまでつく始末です。
何にせよ、これから色々と盛り上がって行き、面白くなりそうなのでとても今後の展開が楽しみです。
それにしても、午前中はほんわか気分、午後は二日酔いで頭の痛い一日でした。
やっぱり最後に水だと思って一気に飲んだのが焼酎だったのがまずかったんですかねえ?

■[第269回] すみません −H16.7.21(水)−

大変申し訳ありません。
私如きが生意気にも新車を買ってしまいました。
本当に分不相応であり、「調子に乗ってるんじゃないのか?」と思われるのも当然であり、大変心苦しく思っております。
ただ、決して調子に乗って買った訳でも、あぶく銭が手に入っていい気になって買った訳でもありません。
昨年の繁盛日記にも書いたのですが、何せ車がどんどん走行距離を伸ばしてしまい、「どう考えても今年の車検は通せないな」という位のポンコツになってしまいました。
という事から「10年ぶりに新車を買ってしまおうかな?」という野望を抱きました。
そこからがさあ大変です。
泣き叫ぶ女房子供を蹴飛ばし、タンスから女房が独身時代に貯めていたお金の入っている通帳を鷲掴みにし、「お願いだからそれだけは!子供の学費のために・・・」という悲痛な叫びを後ろ頭で聞きながら、「男にはやらぬぱならぬ時がある。いつか分かってくれよおっかさん!」と、腹巻に通帳と印鑑をしまい雪駄を履き雪の降る町へ。
そんな思いをしてやっとこさっとこ購入した車が先週納車されました。
今回の件では、私があまりの男っぷりに惚れ込んでいる「タケオートサービスの竹石さん」に大変お世話になりました。有難う御座いました!
ほとんど?まったく?利益にもならないにも関わらず、本来はこちらがお礼をしなくてはならないというのに納車の際にはお祝いまで頂く始末です。(皆様の中で、新築祝いならぬ新車祝いを貰った事があると言う方いらっしゃいますか?)
それにしても、心苦しいやら、有難いやらで、本当に人の優しさが身に染みました。
とりあえず、「一度は日記に書いておかないとなあ」と思っていたのですが、何だか嫌らしい感じがするかもしれないし、近くで水害があったばかりなのにと思い、書けずにおりました。
実は今もこの日記を一から書き直そうかな?と思っているのですが、時間も無くなってしまいましたし、もう書いたから載せてしまえ!という事で、本日の日記とさせて頂きます。
まったく上記と関係ありませんが、本日この後、私の中ではとてもドキドキする会合が開かれる予定になっております。(異性との会合ではなく)
それとまたもや関係ありませんが、やっと昨日この日記に写真を載せる方法が分かりましたので今度何かありましたら載せてみますね。

■[第268回] 出来ない −H16.7.20(火)−

何をするにしてもまず「出来ない」、「ない」というのをベースに考える人がいます。
少し考えれば出来る事でも、探せば見つかる事でも「ない」からスタートします。
こういう考え方をして生きていくのは非常に大変です。
これがまだ「自信がない」という事であれば良いのです。
「自信」なんて言うのは、いくらでも後から付けていく事が出来ますから。
例えば「何故自信がないのか?」と考え、心配な部分、問題となる部分を解決してしまえば良いだけです。
しかしこれが「出来る訳が無い」、「ある訳が無い」というのを前提に考えていると、「解決策」は決して見つかりません。
その上「考える」という、人がはじめに取るべき行動すら出来なくなってしまいます。
これが何に対しても一番の支障になります。
私が以前勤めていた会社の支店長からこんな言葉を教わりました。
挑戦には段階がある。
まず「自分にも出来るだろうか」と思って挑戦する。
次に「あいつが出来るなら自分も出来る」と挑戦する。
そして「誰も出来ないかもしれないが自分なら出来る」と挑戦する。
この最初の「こんな自分でも」というのが大事です。
おっかなびっくりでも、逃げ腰でも良いのです。
「出来ない」、「見つからない」というところからスタートしてしまうと、絶対にそこから抜け出れません。
偉そうな事を書きましたが、私もまだ「自分にも出来るだろうか?」という段階です。
ただ、「自分なら出来る」という段階まで進みたいと思っています。
あと、おまけになりますが、中には突然変異の様な人もいるのかもしれませんが、人の基本能力に大差は無いと思っています。
ただ「知る」、「考える」、「行動する」、「努力する」という事をしている人としていない人の違いだけだと思います。
「でもあの人は別格だという人がいるじゃないか!」と思われるかも知れませんが、実はその人はそう思われる位努力しているだけだと思います。
「成せばなる。成さねば成らぬ何事も。成さぬは人の成さぬなりけり」ですね。

■[第267回] 大 雨 −H16.7.16(金)−

三条や見附方面では大変事になっていますね。
有難い事に県外に住んでいる友人、知人より「大丈夫ですか?」との連絡を頂きます。
新潟市内は今のところまったく問題がありません。
ですが、繁盛屋のお客様も三条におりますし、見附には協力会社もあり、本当に早く復旧作業が進む事を願っています。
子供の頃、新潟市内でもたまに水が出る事がありました。
実家が高台にあるため被害を受けるという事が無く、テレビで市内の様子を見て「海みたいで楽しそうだな」と無邪気に思っておりました。すみません。
六年前位にも新潟市で水が出た事がありました。
その時も実は車がRVだったもので、わざと水の中に突っ込んだりして遊んでいました。重ね重ね申し訳ありません。
今回のテレビでの状況を見て、やっと大人になった私はあの水がとても綺麗なものではなく、臭いもすごい。
家の中にその水と泥が入り込んだら始末をするのがとても大変だ。
断水しており風呂にも入れず家にも帰れず大変だ。
パソコンや電化製品が何千台もお釈迦になってしまった。
車も家も大変だ。
仕事も出来ず、月末の支払いもあり商売をしている方は大変だ。
という事が分かる様になりました。
とりあえず私に出来る事といえば募金する事くらいで、申し訳なく思っております。
今回の水害に合われた皆様頑張って下さい!

■[第266回] 「 blog 」 −H16.7.15(木)−

本日、我が社のIT顧問士に「繁盛日記にも写真を載せたいんですけど・・・」と相談なのか、要望なのか、おねだりなのか分からない言葉を口にしてみました。
そしてすぐに(さすがですね)返信メールが届きました。
これから注目度No.1の「blog(ブログ)」にしてみたら如何なものかね?との事。
勿論ですが私も現代に生きる一人の日本人として、「ブログ」という単語も、またその奥に広がる「深い世界」、「無限の可能性」も理解しています。
ですが念のためにと、インターネットで「blog」を検索し、自分の知識と世の中の常識があっているか確認してみました。
(当然、間違った事が書いてあった場合は注意してあげようという気持ちを持ちつつです)
さて、皆様は「blog」を知っていますか?
詳しく書くと本日の日記だけで3MBにはなりますので書きませんが、簡単に言いますと「日記なんだけど掲示板」という事です。
(私の間違いは注意して頂かなくても結構ですよ・・・)
この「blog」という「日記なんだけど掲示板みたいにもなるらしい」というのが、お勧めとの事で色々な人の「blog」を見てみました。
これは「なかなか便利そうだな」というのが感想です。
噂によると携帯からでも更新が可能という事なので、これによって「出張なので休みます」
という訳にも行かなくなりそうですが・・・。
ただ問題としては取付けの費用が意外と掛かってしまうんですよね。
とても、たかだか繁盛日記のために掛けて良い金額ではなかったりします。
知ってますか?
取付けと言っても機械を取付けたりする訳じゃないんですよ。
※では何故「取付け」なんて言うんだ?とは聞かないで下さい・・・。
という事で、一見「blog?」と勘違いしてしまう様な繁盛日記にしようかなと検討中です。
その時は「なんちゃってblog」だと見破らないで下さいね。
2004年07月15日(木) at
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■[第265回] 看板清掃 −H16.7.14(水)−

昨晩、急に悪寒を感じました。
足のつま先から下腹部辺りまでがまるで正座した後の足の様に変な痺れを感じ、心底「寒い!」と感じたので、冬用の寝巻きを引っ張り出し、その上にコートを羽織り羽毛布団2枚、毛布1枚を掛けて寝ました。
そしてそれだけ暖かくしているにも関わらず、まったく熱くなく逆に寒いくらいでした。
そんな中、ぼけっとした頭で「きっと今風呂に入っても温まらないだろうな。それよりももっと冷えてきそうだな」と考えていました。
しかし面白い事に、真夜中にあまりの熱さで目が覚め、布団を蹴飛ばし、服をどんどん脱いで最後は褌一丁になってやっと人心地着きました。
きっとあの「熱い!」と感じた時が私の体調の悪さのピークだったのでしょうね。
また一つ素晴らしい経験をした次第であります。
さて、本日繁盛屋始まって以来二度目の看板清掃をしてきました。
初回は、まだ仕事を始めたばかりの頃の「余計な営業トーク」による結果としての清掃だったのですが、今回はお客様より「綺麗になりますか?」との問い合わせを頂きました。
実際に看板と言うのは清掃すると逆に汚れてしまったり、清掃した事によって壊れてしまう事があります。
これは強くこすったりする事によって、その看板の文字が消えてしまったり、シートが剥がれてしまったり、修復不可能の部分も一緒に清掃してしまったりする事によって起こります。
また、お客様が自身が「清掃が必要だ」と思われた際というのは、相当古くなっていたり、不具合の箇所が目立つ様になったりしております。
なので「これは清掃するよりも新規作成した方が早い」なんて事が多々あります。
清掃のご依頼を受けてお伺いしたところ、清掃ではとても看板としての機能が果たせない。ご要望に合わせるとなると新規作成しかなく、結局新しい看板を取り付けるという事になります。
清掃が必要な主なものとしましては、内照式看板(中に電球が入っているもの)の外面の汚れ、また内面の雨垂れ、錆などによる筋。
壁面看板(壁に直接取り付けてあるもの)の端から流れ出た雨垂れによる壁の黒染み。
等があります。
相当な高所に取付けてあるという事で無い場合は、一ヶ月に一度程度水拭きで良いので清掃されると、ぐんと寿命と言いますか、綺麗な看板でいられる期間が伸びますので、外などを掃除した際に合わせてやられると良いと思います。
本日の場合は内照式看板の内面の苔や錆などによる汚れの清掃でした。
取付後すでに10年以上経過しているという事でしたが、何とか綺麗にする事が出来ました。
ただ、錆汚れに関しては板面の材質により完璧に落すという事は出来ませんでした。
実は繁盛屋を始める際の最初のアイディアは「看板清掃」と「看板修理」だったのですが、実際に仕事を始めてみたところ「清掃や修理する位なら新しいのを作った方が良い」というお客様がほとんど、というよりも「全て」という感じでした。
当時から見ると大分時も流れましたので「新規作成よりも清掃、修理」という様に意識も変ってきたのかもしれませんね。
という事で、看板清掃もこれからバンバンやって行きますので、もし「汚れているんだけど新しいのを作るのはちょっと・・・」というお客様がいらっしゃいましたら、お気軽にお声掛け下さい!
作業迅速!見積り無料!でやらせて頂きます!!
また、「新しい看板を付けたのだがずっーと綺麗にしていたい」というお客様もお声掛け下さい!
定期的な清掃、補修もさせて頂きます!
こちらも「見積り無料!」で笑顔の怪しい営業マンと初老の職人がお伺いさせて頂き、一番有効な方法をご提案させて頂きます!
それでは、ご連絡お待ちしております!
※今度、本当に看板清掃、補修のチラシでも撒いてみようかなあ?
実際に需要はあるものでしょうかねえ?

■[第264回] 新潟大学周辺 −H16.7.13(火)−

ある方より紹介されたお客様のところへ訪問しました。
とりあえず今すぐに何かあると言う訳ではなく、面通しみたいなつもりでお伺いしたのですが、早速看板と印刷物の見積りのご依頼を受けました。
その件で本日新潟大学の周辺をぐるぐると廻ってきたのですが、まあーアパートの数がすごく多いですねえ!
一体何人が住んでいるのか?
こんなに住んでいる人達が一度に襲ってきたら果たして帰れるだろうか?
と不安になりました。
しかもアパートがびっしりに立ち並んでいるにも関わらず、道路は車一台がやっとの幅しかない。
「なるほど。きっとこういう道を通らせる事で学生に譲り合いの精神を持たせようと言うのだな!」と新潟市の道路行政に感服致しました。
また、進んでいくと突き当たりなんていうのが結構ありますので、「なるほど!こうやって学生にただ進むのではなく先を予想して動くという事が大事だと教えようと言うのだな!」とまたもや感服致しました。
いや、嫌味でも何でもなく本当です。
そして、ちょっと不思議だったのですが、お店が大学周辺は少ないんですよね。
確かに国道116号線まで出ればお店はあるのですが、大学前の道は今ひとつ活気が無いように思えました。
私の予想ではきっと、「お昼は自作のお弁当、本は図書館、夜は勉学に励んでいるので、大学生はあまりお店に用が無いのだ」と思いますが、実際のところはどうなんでしょうねえ?
学生向けアパートばかりなので、流動的に住む人が変っていく訳ですから、逆にお店をするというのが難しいのかもしれません。
お得意様になってもらっても大抵は4年後にはいなくなる訳ですから、顧客の囲い込みも難しいです。
ではそんな土地柄で商売をする場合どんな業種が良いだろうか?と考えてみました。
条件としては、
初顔のお客様ばかりでOK。
大学生向けである。
学生相手なので高価ではない。
男女問わずお客様になる。
うーん・・・なかなか難しいなあ。
ひとつ思い浮かびましたが、ちょっと繁盛日記に書ける様な商売ではないので止めておきます。えへへへ
皆様はどんな商売が良いと思いますか?

■[第263回] セミナー −H16.7.12(月)−

本日お客様の紹介でセミナーを聞いてきました。
結論から言いますと、面白かったというか勉強になりました。
そして本日の講演を聞いてつくづく「会社というのはリーダー次第だな」と思いました。
経営者が必ずリーダーという訳ではなく、誰かが引っ張って行くだけで会社であれ、お店であれがらっと雰囲気は変るものだと思います。
ただ、誰もリーダーとして動こうとしない時のために「経営者」というリーダーがいるのだと思います。
それと、やっぱり仕事というのは「気持ち一つ」ですね。
気持ちが変れば行動も変りますし、行動が変れば会社やお店も変って行きますから。
その「気持ち」を持てる様にするというのも、これまたリーダーの役目ですね。
とりあえず、リーダーとしてしっかりと考え行動して行きます。
うん。良い勉強になった。

■[第262回] 絵 画 −H16.7.9(金)−

今朝のニュースで10年をかけて真贋を確かめた絵画の話を聞きました。
それを聞いて「10年も調べるなら偽者でも本物でもどちらでも本物として良いのでは?」と思いました。
私は絵画にまったく興味が無いので、何故「一つの作品が優れていると、その画家の作品はすべて優れている」という事になるのかさっぱり分からないでいます。
普通に考えれば、「良い物もあるかもしれないが悪い物もある」となる筈なのですが、何故か絵画は違ったりします。
何だったかの有名な画家は死後100年だか経ってから認められたと聞いた事があります。そしてその画家の描いたものはすべて認められる様になり、高値で取引されているとの事。
本当に不思議です。
その当時はまったく認められていないものが何故後から認められるのか?
これは100年経ったからという話ではなく、何故それまで見向きもされなかった物が「一つ良い作品が出来た」というだけで、「それ以外の作品もすべて良い」となってしまうのだろうか?という事です。
本などを読むと同じ作者が書いたものでも、「面白い本」もあれば「面白くない本」があります。
例えば、司馬遼太郎の「坂の上の雲」の中でも正岡子規が「松尾芭蕉」に傾倒していきますが、その中で「芭蕉にも良い句もあれば悪い句もある。どちらかというと悪い句の方が多い」と言っています。
しかしこれが絵画などの世界になると「すべて良い」となります。
※そんな理屈?屁理屈?を、絵画好きで○○展なんて聞くと必ず行っている人に「それは変じゃないか?」と聞いてみたところ「うるさいなあ!」と叱られてしまいました。
まあ最初の話に戻るとして、10年間も真贋をプロが厳しく確かめなくてはならない時点で、それはもし別人の作だったとしても「本物」です。
そうでなければ、それこそ絵画というのは「絵の出来」で判断するのではなく、「誰が書いたか」で判断している事になります。
世の中というのは「何を言ったか」ではなく「誰が言ったか」というのが重要です。
しかし目で見て判断すべきものが「何が描かれているか」よりも「誰が描いたか」ではおかしな話です。
まあそれが「ブランド」という事なのかもしれませんがね。
例えばシャガールだのゴッホ、ピカソだのという名画(と言われている)を描いた人たちというのは、もしかしたら「絵画の出来」ではなく「人間性」で認められているのかもしれませんね。
まあ、確かに「山岡鉄舟の書」なんて言うと、私も素晴らしい文字だか達筆だかも分からずに、人間性を慕って欲しくなってしまいますから。
絵画もそういう話なのだとしたら私でも分かる気がします。
ただ、会社に関して言えば「常に良いもの」を作り続けていかなくてはそのブランドイメージは崩壊してしまいます。
さすがに「以前一度だけ素晴らしい仕事をした会社だ」というだけでは会社は続けられないので、常に「素晴らしい」と言って頂ける仕事をしなくてはならないですね。
大体、100年経ってから繁盛屋を認められても、今仕事が無かったらどうしようもないですからねえ・・・。
いや、その前に先ず「素晴らしい!」と認めてもらえる仕事をするべきでしたね。えへへ

■[第261回] 6年目 −H16.7.8(木)−

いやー今日も暑かったですねえ。
しかし今年は梅雨というか、雨がほとんど降りませんでしたね。
このまま夏に突入してしまうのでしょうかねえ?
自分の現場が終わったから言う訳ではないのですが(?)、逆にこんなに雨が降らないでいると「今年の農作物は大丈夫か?」と思ってしまいます。えへへへ
あれー???
「そう言えば繁盛屋を始めたばかりの時に暑い中飛込みをしたなあ・・・」と思い出して気付いたのですが、いつの間にやら繁盛屋も創業で丸5年が経過し、6年目に突入していました。
すっかり忘れていました・・・。
繁盛屋も丸5年かあ。
今考えると創業した時に「5年計画」を作っておけば良かったなあ。
まあ「後悔先に立たず」なので、これからの「5年計画」が大事ですね。
よーし!やるぞー!

■[第260回] 看板娘 −H16.7.7(水)−

本日午後より看板取付の現場に行ってきました。
看板屋をやっていて何ですが、やっぱり看板は良いですねえ。
何が良いかといったら目立つだけではなく、お店の雰囲気を伝えたり、お店を活気付けたりする様に思います。
お店であればあるほど、看板はしっかりと考えて作った方が良いですよね。
しっかり考えて作っても、大して考えて作らなくても、料金的にはそんなに変わりませんし、しかも頻繁に取り替えるような物でもないので、「より効果のある看板」を作りたいなと改めて思いました。
小針駅近くのクリーニングチャムさんの看板を取付けたのですが、今まではどちらかというと「気付く」という感じの看板だったのですが、これからは「目立つ」という感じです。
多分、今までは「何となくお店があるな」と思っていた人や電車からぼんやりと眺めていた人も、「あそこにお店がある」とはっきりと意識してもらえるのではないかと思います。
※線路脇や色々な角度から眺めていて思いました。
看板で思い出しましたが、私が初めて繁盛屋のチラシを作った時のテーマが「看板娘」でした。(内容は以下の通りです)
「看板娘復活キャンペーン」
昔は角のタバコ屋の「看板娘」などと申しまして、決まって綺麗なお嬢さんがいました。
その「看板娘」のおかげで離れたところに住んでいてもわざわざそこまで買いに行ったり、見栄を張って一つで良いのに一箱買ってしまったりと、多くのお客様がその「看板娘」を目当てに買いに行きました。
「看板娘」がお店の繁盛に貢献していたのです。
しかし・・・もしそこの看板娘が綺麗ではなかったら・・・。
あなたのお店の看板娘は綺麗ですか?
と前文があった上で、
「皆様のお店の看板を綺麗に致します!」
看板娘復活のための5項目
1,看板クリーニング
2,消えた文字の補修
3,切れた電球の交換
4,破損部分の修理
5,新規看板作成
見積り無料!繁盛屋!
でしたね。
そしてそのチラシには、友人のコネを使って「綺麗なお嬢さん」を呼び出してもらって、「昔からあるタバコ屋さん」をバックに撮った写真を載せていました。
まあ、デザインは作ったものの「これで伝わるかどうか?」と悩みまして、結局は「お蔵入り」となってしまいましたが・・・。
※それと確か「綺麗なとか、綺麗なお嬢さんというのは言葉が強過ぎるのではないか?」との意見もあった様な・・・。
まあ、何にせよやっぱり看板は綺麗だと良いですよね。
お店側としましては毎日見ているので、徐々に汚れていくのに気付かなかったり、ついつい「あれば良いや」と思ってしまったりしてしまいますが、やっぱりお客様も綺麗な看板の方が気持ち良いですし、お客様が開店当時からいるお客様だけとは限りませんからねえ。
開店後何年か経って「初めて来店する方」も当然いらっしゃいますから。
さて、今回の看板によってお店で働かれる方の意識も変わると思われますし、認知度も高まると思いますので、結果が出るのが楽しみです。
うーん・・・こんな時に写真が載せられればもっと伝わると思うのですが・・・。
まあ、もしお近くを通られた方がいらっしゃいましたら、意識をせずにご覧下さい。
きっと「あれっ?」と思って頂けることと誠に勝手で恐縮ながら思う次第であります。

■[第259回] 厳しく −H16.7.6(火)−

昨日、ヤフーで小学生の4〜6年生の一割が「抑うつ傾向」にあるというニュースがありました。
たまたま最近「うつ病」について話した事があったので、「おや?」と思って読んでみて、その後、「大体うつ病って何だ?」と思い色々なHPを検索してみました。
「うつ病」というのは精神状態の事みたいですね。
私は今まで「病気」というのは「体の器官がおかしくなる」、「何かしらの病原菌がある」という事だと思っていたのですが、どうやら最近は違うみたいです。
「病は気から」とは言いますが、最近では「気が病」なんですね。
「何にでも「病」って付けてるだけじゃないのか?」とちょっと思ったりしてしまいますが、まあ色々な意見が合ってもおかしくないとは思いますので、あまり書きませんが世界中のどこの国にも「うつ病」の人っているんですかねえ?(落ち込むのとは違うらしいです)
一度、昨日書いたような戦中戦後と生き抜いて来られた方々に「うつ病」についてどう思うか聞いてみたいですね。
しかし優しさの溢れすぎている世の中だよなあ。
本当に幸せな国になりましたね。
ここまで社会に甘えられる国は日本くらいですね。
症状が「朝会社に行きたくない」、「仕事をする気が起きない」、「テレビが面白くない」、「これから先やっていく自信がない」等などですからねえ・・・。
それを「病気なんだね」と言って受け入れてあげる。
私には精神状態が一定なんてあるとは思えませんし、常に「やる気」があるものだとは思えませんが・・・。
「人生楽あり苦あり」です。
「いつも月夜の晩だと思うなよ」です。いや、これは違うな。
ただ、とてもじゃないですけれども繁盛屋の社員に「うつ病」で「仕事をする気がおきない」と言われたらたまったものではないですね。
しかも「頑張れよ」も「元気出せよ」も言えず、「良いんだよ」と優しく会社を何ヶ月でも休ませてあげる・・・。
そしてやっと出社したと思ったら、特別扱いしている様に見えないように大事に扱う。
すみません。
とても「男の修行」をマウスパットにしている繁盛屋では無理です。ごめんなさい。

■[第258回] のんびり −H16.7.5(月)−

どうも先週の金曜日から今ひとつ体が不調です。
金曜日は背中が筋違いの様に痛く、腹筋に力を入れると背中がぐっと押される感じ。
翌日の土曜日は、一緒に泊まった友人に寝ている間に関節技をかけられたのか?と思うほど、首と肩が寝違えた様な感じで、歩いて肩が揺れるだけでも痛みが走りました。
日曜日は大分肩と首の痛みも和らいでいたのですが、本日は朝から目がむくんだ様になり体も何だか全体的にだるいです。
しかも頭がそれに伴いうまく回転しません。
こうやって考えてみると、「背中」→「肩・首」→「目」と来ていますので明日はきっと頭でしょう。
そして明後日には脳天から痛みが抜けて万事解決という事になりますね。
それにしてもどうもよく分からない症状ですね。
明後日には治っているこんな症状でも、きっと病院に行けば何かしらの病名をつけてくれるのでしょうね。
そして何かしらの薬をもらい帰る。
そう考えると病院って面白いですよね。
そう言えば病院で思い出しましたが、東京から帰る新幹線の中で隣に座られた82歳のご婦人に話しかけられました。
医者であった旦那さんが奇病によって亡くなられたとの事。
また、その病気によって長年住まれていた長岡から息子さんと住むために所沢に引っ越されたとの事。
そして色々な話を聞いている中で、「はぁーすごいなー!」と思ったのが、第二次世界大戦(ご婦人の呼称)で長岡大空襲の際に市内の中心街に行かれ、その街中で突っ伏した形で何人も炭化して死んでいるのを見られたそうです。
そして生まれてから20代前半位までの日本の様子や雰囲気を聞いてみました。
その返答は「何だか町中がとても静かだった」との話。
確かに考えてみれば、今の様に車がバンバン走っている訳でもなく、あっちこっちで工事がある訳でもなく、テレビがある訳でもない。
その上、満州事変や日支事変そして第二次世界大戦へと続く日本であったので、むやみやたらとはしゃぎまわる人もいなかっただろうなあと思いました。
そのご婦人が下車される長岡が近付いてきた為、最後に「そんな時代を生きてこられて今の日本はどうですか?」と聞いてみました。
その答えは「のんびりしていて良いんじゃないの」というお言葉。
うーん・・・。
さすが誕生から20代前半までを激動の日本と共に過ごされてきたからこその言葉だなあと思いました。
そして私の中では「世は正に戦国時代」だったのですが、もうしばらくは「のんびりしている日本」のままでも良いのかな?なんて思っちゃいましたね。
後10〜15年位は。
「激動の少年期を過ごし、激動の老年期を過ごす」というのはちょっと申し訳ないですからねえ。
しかし、さすが長岡だけあって「常在戦場」のお話でした。

■[第257回] 近鉄バッファローズ −H16.7.1(木)−

何だか31歳のすごい社長がいますねえ。
年商100億円の企業で30億だか40億だかの年間赤字を出している球団を買収しようというその感覚にビックリしました。
今朝のニュースで「512億円の現金預金がある」という事でしたので、まあ球団を持つ加入料の30億円も、買収の30億円も問題は無いのでしょう。
ただ、その後の経営というものを考えた時に実際の話で、現在100億円の年商の企業が赤字球団の面倒を見ていけるものなのでしょうか?
また、利益が年間15億円で年間30億の赤字球団を買収する力があるのでしようかねえ?
大分以前にマネーの虎に出ていた生活倉庫の社長の話を聞いて、私如きが生意気で恐縮ですが「おっ!この社長は良い事を言うなあ」と思いました。
その話と言うのが「私は今現在1億円を持っている人がいたとしても信用しない。現在持っていても来年も持っているとは限らない」、「私は宝くじで3億円手に入れた人と毎月100万円稼ぐ人だったら100万円の人を尊重する」という事でした。、
この意味は、要は毎月確実な収入が見込めるかどうかという話です。
宝くじに当たって3億円手に入れたとしても、毎年必ず3億円当たる訳ではない。
しかし毎月100万円稼ぐ人は、毎月確実に100万円なりの収入が見込める。
これは、投資するならば宝くじに会った人よりも、毎月一定の収入を得る手段を持っている人の方が信用できるという事です。
さて、そこで今回の近鉄の買収を計画している会社を考えますと、創業してから8年くらいとの事。
そして毎年年商が増えていて今年は100億円に達したとの事。
ではその512億円の預金とはどこから出てきたのか?
毎年の利益を積み重ねてそれだけの預金を作る事は無理です。
これは店頭公開などによるマネーゲームとして手に入れたお金です。
毎年必ずマネーゲームで勝利する。
そして毎年「必ず100億なり、200億円手に入れる」という事であれば話は別になりますが、そうではなく次も必ず見込める収入ではありません。
なので、このゲームマネーを当てにして、毎年必ずある支出を作るというのは無謀です。
まあ、かなり敏腕な経営者との話ですので「自分なら赤字の球団を黒字に出来る!」という自信があるのかもしれません。
しかし、会社と言うのはマネーゲームの道具ではなく、社会に重要な役割を果たし、社員の生活を守るためにあります。
屋台骨が揺らぐような失敗はする訳にはいきません。
なので、今までそういった経験(赤字のスポーツ団体を黒字にし、毎年いくらかの収入が見込めるようにした)、または失敗しても耐えられる体力のある会社で無い限り、安易なチャレンジはするべきではないのではないかと思います。
※この場合の体力とは、一発当てて手にした512億円ではなく、会社が毎年基本的に稼ぎ出せる利益という事です。
また「このマネーゲームで手に入れたお金は投資するためにあるから当然だ!」と思うかもしれません。
しかし、そのゲームマネーはその会社の将来性に賭けて株を購入した株主のお金です。
社長を気に入って買った人もいるでしょう。
ネットバブルだからとりあえず買っとけという人もいるでしょう。
ですが、基本的には株はその会社の「将来性」を見て買うものだと思います。
その「将来性」とは何か?
それはその会社の本来持つ業務内容の未来であり、その会社の予想される事業展開の展望などです。
果たして、その512億円を投資した株主が「近鉄買収をする将来」を想像していたのかどうか?
「いや、あの社長なら自分が投資したお金を面白く使ってくれるだろうから、使い道は気にしないよ」と言ってくれるのかどうか?
基本的に会社の店頭公開、上場というのは「遊び金」を作るためにあるのではありません。
例えば、○○といった新事業をしたいが資金が足りない。しかし始めれば必ず利益が出る筈だと考えた会社が、「どなたか我が社の株を買って資金提供してもらえないだろうか?」という事で店頭公開などをします。
そして「利益が出たら配当でお返しします。ただ返すだけではなく増やして返します」と資金提供をしてくれた人に恩返しをする。
他にも、今ある事業をもっと拡大すれば利益がもっともっと増える。しかしそのための資金が会社にはない。
という事でしたりします。
これが店頭公開、上場の基本です。
決して、「遊び金」として「面白く使ってね」という事で出すものではありません。
※そうは言っても実際にそのマネーゲームで「競馬でどの馬が勝ちそうか?」という様に賭け事として盛り上がっている人達がいる訳ですから、「遊び金」という部分の方が強いのかもしれませんがね。
でも実際のところは知名度アップというのが主なところなのかもしれませんね。
今まで社名を聞いたことが無い人も「ライブドア」という会社を知る事になった訳ですし、株価も上昇しているとの話なので、かなり良い広告になったのでしょう。(株主も喜んでいるらしいですから)
もしかしたら、半分は「本気で買う気」で「半分はこれで名も知れる」という戦略だったのかもしれません。
何と言っても「ベンチャー企業の雄」であり、とても優秀な経営者との話なので。
しかし買わなくて済みそれで良い広告になるのなら繁盛屋も手を上げてみようかなあ・・・。
でも30億どころか、3万円も自由にならないですからねえ・・・。えへへ。
いや、その前に受付の電話で断られるな。
「はい!?何の御用でしょう?」
「あのー何とか2万円くらいならば近鉄を買収出来るのですが・・・」
「今忙しいので・・・ガチャッ!!」
だな。
それにしてもこの広告方法は「コロンブスの卵」でしたね。
すごい事を思いつくものですねえ・・・。
※すみません。明日から東京出張のため繁盛日記は5日(月)から再開致します。
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正解は
「他人と過去は変えられない。変えられるのは自分と未来だけである。
でした!
分かりました?
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