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■[第234回] ラストサムライ −H16.5.31(月)−

昨日はある会合がありまして、昼間から繁盛屋一同大酔っ払いでした。えへへ。
約一名が運転手なので飲めず可哀相でしたが・・・。
日曜の昼間から飲むお酒は効きますねえ。
さて、酔っ払いとなって帰宅した後に、以前から見たかった「ラストサムライ」を見ました。
※映画館で見れば良いのですが、何せ私は映画を見る前に必ずポップコーンをつまみに生ビールを2杯以上飲んでしまい、映画が始まる頃には3〜4杯目を飲んでいて、映画が始まり暗くなると眠ってしまうのです・・・。ここ何回かは映画館で見た記憶がありません。そして不思議なことにエンドロールが出ると目が覚めるのですよね・・・。
ラストサムライの話に戻りまして、私の周りで見た人からは「良かった」、「感動した」、「武士道が伝わった」だのと非常に評判が良かったです。
期待して見たのですが、いやー酔っ払っていたからなのか、やっぱり寝てしまいました。
今回はDVDだったので起きた後にもう一度見直せたのですが、正直なところ「うーん・・・」という感想です。
どうしても日本の歴史の中でも特に戦国時代と幕末が好きな私としては「あれー?」という部分が多くて、まるでハリーポッターやロードオブザリングを見ている様な感じでした。
まあ外国から見た幕末であったり、日本のイメージなので細かい事は映画なので「言いっこなし」ですね。
でも、すみません。
私は最後まで勝元も生き返って来るものだと思っていました。
あれだけ撃たれても、切られても、木刀でビシバシ叩かれても平気な人達ですからねえ。

■[第233回] 上司の役割 −H16.5.29(土)−

久し振りに土曜日に日記を書いてみます。
本日は今朝からあっちこっちでっちへ走りっぱなしでした。
そして事務所へ帰ってきてから「あらっ?」と冷や汗が出ました。
繁盛屋では事務所を出る前に「行き先、帰社時間」を書いて出て行きます。
また、その帰社予定時間が遅れそうな場合は連絡をします。
まあ普通の会社であれば当然やっている事なのですが、実は繁盛屋では半年?程前に始めました。
それが本日帰ってきたら言い訳になりますが、急いでいたから書き忘れていました。
また、これは言い訳にもなりませんが、土曜日だから気がちょっと緩んでいたかも・・・。えへへへ。
さて、事務所に戻ってきたところ鍵が閉まっていて誰もいませんでした。
みんな何処に行ったのだろう?とホワイトボードを見たところ、何と!私だけが忘れていたならばいざ知らず、誰の行き先も帰社時間も書いてありませんでした。
そして反省しました。
「きっと私が書かずに出て行ったものだから自分も良いかな?」という事できっと書かずに出て行ったのでしょう。
「子供は親の背中を見て育つ」、山本五十六の「やってみせ」って本当だなと思いました。
ただ以前、私の上司で「自分の出来ない事は厳しく言えない」という方がいました。
その話を聞いた時に私は生意気にも「それは上司として間違っているのではないか?」と思いました。
部下の出来ることをすべてやれる上司なんていません。
自分に出来ないことでもビシッと指導するのが上司の役割です。
また、以前尊敬する社長が「これが分かるか?」と教えてもらった話があります。
社長がタバコを吸っていてポイ捨てをした。
そして部下がタバコのポイ捨てをした。
それを見た社長が「コラッ!ポイ捨てするな!拾え!」と叱る。
部下は「社長もしたじゃないですか!」と当然文句を言う。
その時に社長は「それでもダメだ!」と言わなくてはならない。
という話でした。
これは極端な話ですが、社長が叱ることによってポイ捨てされたタバコの本数は1本になります。
もし叱らなければポイ捨てされた本数は2本です。
叱る事によって1本削減されるのです。
※実はこの話を聞いた時に「それだったら社長が捨てなければ良い。または社長が拾えば1本じゃないか」と思いました。
ただ、これはたまたま変な?例え話だったためにそんな風に思いましたが、その後に色々と話を聞いて分かりました。
上司は「自分のことを棚に上げても叱らなくてはいけない」という事です。
「自分に出来ないこと、自分が失敗したことだからしょうがないよ」と言っていては上司としてダメなのです。
部下を指導する立場にいる上司は、いかなる時でも「上司」として言うべき事を言わなくてはなりません。
また、「自分もそうだったから」で甘やかした子供がまともに育たないのと同じです。
簡単な例えで言えば、監督が必ずしも名選手だったとは限りませんよね。
高橋尚子さんを指導する小出監督は(私はよく分からないのですが)、高橋尚子さんより速く走れるとは限りません。
自分の出来る事しか指導できないとなったらコーチなんて大変です。
「じゃあやってみて下さいよ」と言われたら指導できなくなりますから・・・。
どんなに心苦しくても上司は部下を指導しなくてはダメです。
という事で、部下に厳しく叱りつけました。
「何で行き先も帰社時間も貴様は書かないんだ!」
「貴様は仕事をなめているのか?」
「土曜日だと思って気が緩んでいてはダメだぞ!」
と・・・。
今日も上司としての職務を全うした私でした。
※ちなみにこの話が分かりやすいのが、徳川家康です。
徳川家康は武勇に誇る部下よりも強かった訳ではなく、知略に勝る部下よりも知恵が深かった訳ではありません。
それでも、部下を時には優しく、時には厳しく叱りつけて、指導して天下を獲りました。
もし徳川家康が自分に出来ないこと、自信がないことは部下に言えなかったら天下が獲れる訳もなく、また案外部下が天下を獲っていたのではないでしょうか。
他にも、中国の故事に、「1000人の兵隊を指揮出来る将軍と100人しか指揮できないが10人の将軍を指揮できる皇帝」という話がありますが、長くなるのでやめますね。

■[第232回] 2月です −H16.5.28(金)−

2月の様な大忙し状態になってきました。
本当にお客様、協力会社の皆様には感謝してもしきれません。
気合を入れてミスや問題が起こらぬ様に細心の注意を払って、一所懸命やらせて頂きます。
それにしても何から手をつけて良いのやら、何に手をつけたら悪いのやら、さっぱり分からんちんなくらい頭がパニックになっているため、本日の日記は申し訳ありませんがここまでという事で・・・。
えへへへ。

■[第231回] 拉致被害者家族 −H16.5.27(木)−

すみません。
今日は久し振りに過激です。というよりも真面目にかなり怒っています。
自分で書いておいて言うのも何ですが、あまり読まれない方が良いかもしれません。
この先を読まれる方は覚悟を決めた方のみお読み下さい。いや、本当にです。
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では、
納税は国民の義務です。
私の勝手な持論ですが「税金額に応じて投票権の数を変えるべきではないか」と、民主主義に真っ向から反対する様な考えを持っていたりします。えへへへ。
世の中に平等なんてありませんし、いびつな平等は悪ではないか?とも思います。
そして義務が生じるという事は権利も生じます。
税金を納めているからには国は当然しっかりと国民の生命と財産を守らなくてはなりません。
その国として義務を果たしていない場合は、これはどんな文句を言われても仕方ありません。これで「文句を言うな!」となったら、代金だけ受け取って商品を渡さない詐欺と同じになってしまいます。
さて本題です。
先日、小泉首相の訪朝に対しての家族会のコメントを聞いて「生意気だ!」、「がっかりした!」なんていう声があるそうです。
我が家は産経新聞なのですがその読者の声にもそんな言葉が書いてありました。
それを読んだ時に「この人たちは何て思慮の浅い人達なんだろう」と情けなくなりました。
多分イラクで拘束された家族会が「生意気だ」といって叩けたものだから、拉致被害者の家族会に対しても同様に「とにかく低姿勢でいるべきだ」と思ったのでしょう。
本当にわざと強い口調の部分しか放送しないマスコミの偏向報道といい、それを鵜呑みにしてすぐに文句を言う様な人といい、何でもう少し常識的に考えられないのでしょうかねえ?
自ら功名心や趣味やビジネスで行ったイラクで拘留されたにも関わらず、「助けろ」・「自衛隊を撤退させろ」と言うのと、普通に海岸を歩いていたら拉致された、下校途中に拉致された我が子や肉親を助けろというのはまったく次元が違います。
片方は好き好んで行ったのです。
片方は拉致されたのです。
そして拉致されたと分かっても国民を守る義務のある国が「北朝鮮と揉めると嫌だから」と言って守らなかったのです。
犯罪者に誘拐された。それが分かっているにも関わらず「おっかないから」と言って助け様ともしなかった。
助けないどころか「そんな話は無い」と無かった事にしようとした。
そして未だに一国の総理が、「だって僕がいかないと返さないって言うんだもん」と子供の様な事を言って訪朝しています。
しかも「すごいお土産」を持って。
何のために国は「経済制裁」というカードを持っているのでしょう?
何のために「特定船舶禁止法案」なんていう法案を通すのでしょう?
もういくらでも弱腰外交をしたいと言うのだったら、北朝鮮に行って「日本を北朝鮮にして下さい」とでも言ってくれば良いのです。
まるで誘拐犯に身代金を要求されて唯々諾々と、いくらでも支払っている様なものです。
これで誘拐犯は人質を解放してくれるのでしょうかねえ?
例えば、自分の子供が誘拐されました。
警察に連絡しました。
そして警察官が言ったのは「本当に誘拐されたんですか?」
その後に渋々と誘拐された事を認めて、「犯人を刺激しないようにいくらでも身代金を渡すように」、「そのうち犯人も解放してくれますよ」という無責任な言葉。
そして犯人に対しては「すみませんが気が向いたら解放してもらえます?」、「死んだならどうやって死んだかもう少し詳しく教えてもらえます?」、「当然ただとは言いませんよ。つお宅も色々と大変みたいですし、世の中は助け合いですからねえ」、そして最後に「いやいや、絶対にあなたに対して罰は与えませんからね!」と言う警察官。
当然その家族は「一体あなたは子供を助ける気はあるのですか?」、「それであなたは警察官としてのプライドがあるのですか?」位は言うのではないでしょうか?
私は早く拉致被害者が全員帰国し、そして国に対して賠償金を求めて欲しいです。
その時の請求金額は一人当たり1000億円位で。
そして当然の様に支払いを命じられる事によって、「国民を守らないと痛い目にあうんだな」と国も分かるのではないでしょうか。
※ただ正直なところ問題なのは政治家も官僚も「どうせ自分のお金じゃないから良いや」と言って、「痛い」と思ってくれるものかどうか・・・。
まあ話を元に戻しまして、とにかく私は拉致被害者の家族会は何を国に対して言っても良いと思っています。
どんな事を言っても許されると思います。
何と言っても「拉致なんて無い」と、まるで北朝鮮の味方の様に言っていた国に対してですからねえ。
本当にもう少し拉致被害者の家族の気持ちを文句を言う様な人は考えて欲しいです。
自分の家族が拉致され、そしてほったらかしにされていたらどう思うのか。
その上、その拉致した国家に対して「泥棒に追い銭」を実践している国を見たらどう思うのか?
人道支援?
そういうのは「人道を守っている国」に対して言うべきです。
また、「自国の人道はどうでも良い」と言っている国が支援なんて生意気な事を言わないで欲しいものです。
しかも国民が「守ってくれるのか?」と不安になりながらも、大した文句も言わずに真面目にコツコツと払っている税金を、人の金だと思って気軽に「大変でしょ?あげますよ」なんて言わないでもらいたいです。
この国は本当にふざけた国です。そしてだらしの無い首相です。
国の代表として責任を甘んじて受け入れる。すべて責任は私にある。
格好良い言葉を吐けば許してもらえるとでも思っているのでしょうかねえ。
最後に、
もし世論が「拉致被害者家族の口調が強くて不快だ」、「同情する気にならない」、「もう応援する気にならない」というならば、それはそれで結構です。
例えどんなに小さく、非力でも、私は、そして繁盛屋は拉致被害者家族の味方です。
※蓮池さん、地村さんのお子さんが日本に帰ってこれた大変喜ばしいことです。早く拉致被害者家族全員の笑顔が見たいです。

■[第230回] テレアポ −H16.5.26(水)−

本日ある仕事でお客様にお電話させて頂きました。
お会いした事が無く、ご紹介と言いますか、ご依頼を受けてと言いますか、そう言った様な電話でした。
3件のお客様にさせて頂いたのですが、何だか久しぶりにするテレアポみたいで緊張してしまいました。
以前は繁盛屋でも商品の説明や売込みなどで突然電話をしていました。
今ではほとんどそんな事は無いのですが、電話で担当者に代わってもらい、何とかアポを取るという内容です。
そして当然の様に「いや、うちはいらないよ」とよく言われました。
さて本日ですが、1件目のお客様には普通に依頼のあった話をし用件を伝えました。
そして2件目のお客さまの際に連絡の電話をした際に、何が違ったのか突然テレアポしているかの様な話し振りで話をしてしまいました。(私がです)
そうしましたら、何と用件を伝える前に、社名を名乗った直後に「うちは結構ですから」と言われ、電話を切られそうになってしまいました。
大慌てで「いえいえ!売込みではなくて○○様からのご依頼の件で電話させて頂いたのですが・・・」と、切れるか切れる直前かという位の間に早口で説明致しました。
何とか聞こえていたのか最初は「え?」とちょっぴり胡散臭そうに声が聞こえたので、再度説明させて頂きまして、何とか事なきを得ました。
そして用件を伝え終わり電話を切った直後に社員に「怪しい営業だと思われて危うく切られそうだったよ。えへへ」と言ったところ、社員は口では言いませんでしたが「確かにあの出だしのトークなら・・・」とニヤリとしていました。
その後、3件目のお客様には普通にお電話させて頂いたところ何も問題はありませんでした。
(2件目にお電話したお客様にも、その後訪問させて頂いた際に「怪しい電話で大変失礼致しました」とお詫びし、問題はまったくありませんでした)
それにしても、何だか「本当に面白いもんだなあ」と思いました。
まず、「何故、突然テレアポトークになってしまったのか?」ですが、これは久しぶりだったから緊張してしまった。そしてついつい以前の記憶に頼ろうとし、慣れていた「初めて電話させて頂く際のトーク」が出てきてしまった。
という事で説明が出来ます。
では「何故、テレアポ風トークだと切られそうになるのか?」です。
忠実に記憶を再現させて頂きます。
[2件目のお客様の場合]
(基本は申し訳なさそうな話の雰囲気がベース)
「○○様でしょうか?」
「お忙しいところ大変申し訳ありません。私は株ノ盛屋の近藤と申しまして・・・」
ここで「うちは結構です」となりました。
[1,3件目のお客様の場合]
(基本は何の気負いも無く、普段の雰囲気がベース)
「○○様でしょうか?」
「私、株ノ盛屋の近藤と申しますが、△△様からのご依頼で××の件でお電話させて頂いたのですが・・・」と続きます。
確かに用件というか、依頼があったことをすぐに伝えれば良いという事だけなのかも知れません。
しかし、何となく本当に何となくですが、私の中ではこの「申し訳ないベース」が良くなかったのではないか?と思っています。
自分の持っているオーラというか、雰囲気というかそれが相手に即座に伝わる。
そして少しでも「申し訳なさそうベース」が出てしまうと、即座に相手には「おっ!何か良い話ではないな!」という様に伝わってしまうのではないかと思います。
これは、だから「気軽ベース」で話すとか、「偉そうベース」で話すとか、「お勧めですよ!ベース」で話せば良いという話ではありません。
普通に、自然に話すことが大事なのではないかという事です。
当然の話ですが、普通に、自然に話したからといって必ずしも信頼されたり、好意を持って頂けるという訳ではありません。
ただ初めて電話を受ける相手というのは当然「何だ?」という緊張があったり、「怪しいぞ!」という気持ちがあったりします。
その最初の時に自然ではなく、変な気負いや、申し訳なさが出てしまうと、その相手に一層警戒心を抱かせる事になってしまいます。
これが一番の、顔が見えない、用件も分からない(最初は)時には良くないのではないかと思います。
(これは飛込みでも同様ですね。)
まあ結局何が言いたいのかと言いますと、「久しぶりに電話をしてドキドキして何だか面白かったなあ!」というのと、「何でも通じることかもしれないが、変な気負いは決して良い結果を生まないもんだな」という事です。
そして何よりも本当の感想としては、
「だからテレアポして会う事がほとんど出来なかったんだな」
「その上アポが取れても一件も仕事には結びつかなかったんだな」
という事ですが・・・。
一体今までダメな電話の仕方で何件の方電話した事か・・・。
何と言っても私もそれまでテレアポなんてした事が無かったもので、社員に私と同じテレアポの仕方でさせていましたからねえ・・・。
変な怪しいと思われる様なお電話を繁盛屋から受けた事のある皆様大変申し訳ありませんでした。
これからは変なハイテンションの電話も、申し訳なさそうな電話も致しませんのでご安心下さい!
「お客さん!今は金が安いですよ!不動産に興味ありませんか!先物取引って知っていますか!資金繰りでお困りではありませんか!」といった様な・・・。

■[第229回] 勉強会 −H16.5.25(火)−

勉強というのは自分から学ぼう、動こうとして初めて勉強になるのだと思います。
人から与えられたものだけを頭に詰め込んでいても、決して「自分の物」にはなりません。
また、知識というのは覚えただけでは意味は無く、それを行動に移してはじめて本当に「学んだ」、「理解した」という事になります。
「知行合一」ですね。
「突然何故こんな事を偉そうに書いているんだ?この!お、愚か者め!あ、あーほー!」と枝雀の「代書屋」風に思われた皆さん大変失礼致しました。
実はですね、私は大の勉強嫌いなのです。(とても想像もつかないと思いますが・・・)
何の勉強が嫌いかと言ったら「社会に出てからの勉強と」です。
※しかし学校での勉強は嫌いではありませんでしたよ。ただ得意ではなかっただけで。
それに何と言っても色々と忙しくて勉学に励む時間が無かったんですよね。うーん残念!(ちなみに「時間が無い」というのは最もポピュラーな言い訳です)
さて、こんな私でも昨年まである勉強会に参加していました。
切っ掛けは「お客様に勧められたから」です。
先ほど書きました様に勉強嫌いな私は「一回出たら顔も立つだろうからその後は幽霊会員になろう」と心に決めての参加でした。
それがいつの間にやら楽しくなり、三年間真面目に(?)出席し去年の四月に卒業しました。(その勉強会は三年制です)
今では「その勉強会で出会えた人たちが僕の宝物です!」と下を向いてなら言える程です。
本日何故こんな話なのかと言いますと、実はその勉強会に今年から「とてもお世話になっている方」が参加しました。
そしてその感想を今日聞かせてもらったのです。
それで「そう言えば・・・」と思い出した事がありましたので書いてみます。
「自分で動いて初めて得るものがある」
何と言うのでしょうか、学校と違いまして社会というのは「勉強するのも自由」、「勉強しないのも自由」なんですよね。
そして、ある程度の環境は社会が整えていてくれたりするもので勉強しなくても生きていけちゃったりします。
なので自分が動かなくても問題が無かったりします。
しかし「踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら踊らにゃソン!ソン!」という孔子の格言の通りに、動かなければ損なのですよね。
何に対して損なのかと言うと、まず「自分の人生」に対してであり、そして「社会」にとってです。
せっかく「どんなに努力しても良い」、「どれだけ頑張っても良い」という状況にいるのに、「いやー僕はそんな欲張りじゃないですよ!」と日本人の美徳である「謙虚」を出してしまっては自分自身に対しても、社会に対してもとても勿体無い事なのです。
そんな事をその勉強会で学びました。
これは「その勉強会に参加していたら仕事がもらえた」という話ではありません。
動いた人が一番勉強になる。
動いた人は楽しい。
動いた人だけが得るものがある。
という事なんですね。
という事で、その今回参加された方にも、「自分から入り込むと楽しいですよ」と偉そうに伝えました。
卒業した時に「良かった」という様になってもらうと、私にはまったく関係ない筈なのですが何だか嬉しいですね。

■[第228回] パソコンさん −H16.5.24(月)−

すみません。
どうやら先週末に日記の更新をした際に何を勘違いしたのか、トップページのindexを繁盛日記のindexにしてしまいました。
土日にページを見られた方はびっくりされた事でしょう・・・。
「トップページを繁盛日記にする位、調子に乗って書いているのか!」と。
直しておきましたので、これで繁盛日記は裏方に戻れます。
ご覧になられた方は本当に驚かせてしまい申し訳ありませんでした。
さて、本日はどうでも良い話をひとつ。
本日繁盛日記のせいなのか、パソコンが絶不調になりました。
起動して操作出来る様になるまで5分間も掛かる。
最適化を試みると固まる。
MOを開こうとすると見つからない。
HPの通信速度が通常の半分になっている。などなど。
システムの復元を何度しても復元しない。
そして仕事で必要なデータの修正を試みると一操作に30秒くらい掛かる。
「何じゃこりゃ?」という事で、色々とやってみたのですがダメです。
ウイルスでも侵入したか?とオンラインでチェックしても問題なし。
そして「もうお手上げだな」と思って諦めていましたら突然直りました。
起動から操作可能までの時間は短い。
最適化も開く。
MO読み込みOK。
ただし通信速度は変わらず。
一体これはどういう事なのでしょうかねえ???
相変わらず訳の分からない「文明の利器だな」と思った次第です。
うーん・・・すごく不思議です。
その直る直前に一度MOのUSBを抜いてから再起動したのですが、それが良かったのでしょうかねえ???
やるなあパソコン。

■[第227回] 好悪感情 −H16.5.21(金)−

「嫌いな人は自分の鏡」だと聞きました。
似ているところがあるから嫌いになるのだと。
多分ですが、大抵の人が「あーなるほど!」なり、「そうかしれない」と一瞬は思うのではないでしょうか?
本来であれば男子たるもの「人の好悪」について話すべきではないのですが、なかなかこの話で盛り上がったので書いてみます。
私はこの「鏡」、「似ているから」というのは違うのではないか?、または理由にはならないのではないか?と思っています。
私は拉致被害者やその家族をいつまでもまともに返そうとしない某国の総書記が大嫌いです。
これが鏡だといわれたら、随分屈折して映る鏡だなと思います。
人間の持つ性格というのは根本的には同じです。
例えば「すごくケチな人」がいたとして、それを「嫌いだ」と思った人も当然の様にケチな性格を持っている。
では何故「嫌いだ」と考えるのか?
それはその性格の部分を「出してはいけない」と考える人だからでしょう。
という事は、嫌いという感情は「似ているから」ではなく、「その部分を出す人だから」という事だと思います。
嫌いな人が自分と同じ部分を持っているというのは当たり前のことであり、好きな人でも持っているでしょうし、何とも思わない人でも持っている。
これは当然なので、「決して同類を見て嫌う」というのとは違うような気がします。
私は、嫌いになるのも、好きになるのも、どうでもよいと思うのも、それには理由があると思います。
「似ているから」、「同じだから」というのではなく、「性格この部分が強いから○○になる」ですね。
その部分の強さで人を好きになったり、嫌いになったりするという話なので、「嫌いな人は自分と似ている」または「鏡である」というのは論理的に崩壊してしまうと思います。
という事で、結論としてまとめますと「人を嫌いになる」、「人を好きになる」というのは、「自分と似ているから」ではなく、「その人の好み次第」という事ですね。
あれっ?「好み」となるとまた最初に戻ってしまうか・・・。
何故「好み」があるのか?という事で・・・。

■[第226回] 文 字 −H16.5.19(水)−

繁盛屋には書道2段の字のとても綺麗な社員がいます。(容姿も!と書かないと怒られそうですね・・・)
また、それと同時に良く言って「とても個性的な字」、悪く言うと「下手な字」を書く社員もいます。
私はちなみにお客様用は「中の下」(欲目で見て)、手帳や内部用には「下の中の下」の字を書きます。
なのでお客様の前で手帳に文字を書いているところや、書かれた文字を見られた時はとても恥ずかしくなります。
さて、何故突然こんな事を書きましたかと言いますと、先ほどお客様へのFAXの送り状を書いていて、ふと以前勤めていた会社の時が思い出されました。
それは面接の際にその会社の事務課の人が、私に渡す文書を書いているのを見て「ほぉー」とちょっと驚いたからです。
それというのもすごく一文字、一文字、丁寧に書いていたんですよね。
ゆっくりとしっかりと。
そしてその文字を見て「すごく綺麗な字を書く人だな」と思いました。
ただ、その後に他の人に「この文字すごく綺麗でしょ!」と言って見せたら、「そうかなあ?」と言われました。
多分、私は書いているところを見て「すごく丁寧だ」というのと「すごく綺麗だ」というのが頭の中で一緒になったからなのでしょう。
そして他の人は書いているところを見ていないので、ただ単純に文字を見ての判断だったのでしょう。
とりあえず話を戻しまして、その会社では入社後毎日「日報」というか「一日の感想文」を書く事になっていました。
私はそれを当然の様に「綺麗な文字を書こう」なんてこれっぽっちも思わずに書いていました。
そしある日支店長に「お前の字はこの支店のワースト3に入るくらい汚い字だ」と言われました。
そう言われた私は少しだけ「へっ!しょうがないだろ!」、「書道教室に通っていた訳でもないし、みこちゃんに教わったこともないんだし・・・」と思いました。(本当に少しだけですよ・・・えへへへ)
そしてその後に支店長からもう一言もらいました。
「下手くそなのはしょうがない。しかし綺麗に書こうと思って書け。そしてとにかく丁寧に書こうと考えて書け」とアドバイスされました。
それからは日報を書く際にも一文字、一文字を丁寧に書く様に心掛けました。
もちろん字が突然上手になる事もなく、そのアドバイスを受けてからすでに干支が一回りしても自称で「中の下」が良いところですが、それでも少しは進歩しました。
という事を本日FAXを書いている時に思い出しまして、個性的な字を書く社員にあの時の支店長になった気分で、「君は字を書くコツをしっているかね?」と言ってみました。
そして同じアドバイスをしたところ、「そりゃそうでしょうね」と軽くいなされてしまいました。
(まだまだ「あの支店長の様に社員を感服させることの出来ないんだな上司だな」と少し寂しくなりました・・・)
まあ何にせよ、下手な字はしょうがないです。
しかし丁寧に書こうと意識する事はとても大事ですね。
字の綺麗な人は頭も良さそうに見えますからねえ。
今度、書道二段の社員に「繁盛屋書道教室」でも開いてもらいましょうかねえ・・・。
※おまけですが、書道の出来る人というのはデザインセンスというか、物をうまくまとめるのが上手の様な気がします。(たまたまかもしれませんが)
私なりの勝手な解釈では一枚の紙に文字を「バランス良く配置する」という事が書道では基本だと思うので、それのお陰なのかな?と思っています。
皆さんはどう思いますか?

■[第225回] Bフレッツ −H16.5.17(月)−

以前書きましたが、繁盛屋のネットの環境を「来たぞ光だ!」のBフレッツにしました。
そして光回線が繋がる前と繋がった後の通信速度は「すごく違うのだろうなあ」と思って楽しみにしていました。
悔しかったので今まで書かなかったのですが、実はADSLの時の速度が12Mの契約で「1.8MB」。
そして光にした後の通信速度が「8MB」。
※これはよくある通信速度測定サイトを何個もやってみて、その中で一番速かった時の数値です。
しかも、友人の会社へ行った際に「他はどうなんだろう?」と聞いて、その場で調べたところADSLにも関わらず「4MB」でした・・・。(しかも一発で・・・悔しかったです・・・)
そしてそれからは、「来たぞ光だ!」のCMを見る度に、心の中で「繁盛屋には来てくれないんだよ・・・」とつぶやいていました。
最大100MBという「うたい文句」があったとしても、実際に最大を堪能出来るとまではいくらずうずうしい私でも思っていませんでした。
それでも「せめて80MB。いやそこまで贅沢を言わなくても50MB。いや最低でも30MBは欲しいなあ」と思っていました。
まるで、「月給最高100万円!」と言われ入社して、実際に貰った給料が「8万円」だった気分でした。
しかも「成績は一切関係ありません!」と言うかの様な「ADSLと違って、基地からの距離は関係ありません!」と言われていたにも関わらずです。
まあADSLの時より4倍以上にはなっているので、それでも良いと慰めていました。
それでも光は光だと・・・。
もう気にすることに疲れたみたい。嫌いになった訳じゃない。
そして突然話は急展開致します。
先週の金曜日だったかにNTTの人からたまたま電話があり、「ダメでもともとだ」と、とりあえずぼやいてみました。
すると「確かにちょっとおかしいですねえ。係りの者をお伺いさせます」と言ってくれ、本日の夕方にNTT人が来てくれました。
そしてその後、通信速度を調べたところ、何と!何と43MB!ですよ皆さん!!
やっと繁盛屋にも光が来ました!
「もっと光を!」と言い続けてはや半月・・・。
これであの画像もこの画像もどの画像も見放題です!(どんな画像かはご想像におまかせ致します)
いやー「最初は騙されたなこりゃ!」と思っていましたが、事務処理のミスだか何だか分かりませんが、実際は43万円近くの給料だったのですねえ。
そして良い気分になったついでにNTTの人に「最大100というのはさすがに無理でも実際どの程度が普通なのですか?」と「他の人の給料はいくら?」という様に聞いてみました。
そんな卑屈な私を見て可哀相に思ったのか、「実際100なんてありません。色々な要因が絡んでくるので一概には言えませんが、40あればかなり良い方ですよ!」と言ってくれました。
まあ、くだらない事をぐだぐだと書きましたが、NTTの宣伝も「最大100MB!」という文句の他に、車の燃費の様に「通常○○MB」と書いて欲しいものです。
「状況によって変わります」みたいな文言も入れて。
何にせよ繁盛屋は40MBをコンスタントにマークする、なかなかやるな!というネット環境になりました。
ただ正直なところその通信速度の測定以外ではあまり実感が無いのですよね・・・。
今までのページの開き方とあまり変わらない様な気が・・・。
こういうものなのかなあ???

■[第224回] 猛省です −H16.5.13(木)−

一昨日の日記に書きました仕事について、実は私が大変な勘違いをしていた事が分かりました。
実は聞いていた仕事の量が半分までは行かなくても3分の2以下だったのです。えへへ。まったくもって恥ずかしい限りで御座います。
また、勘違いで仕事をお断りするところだったと思うと、本当に自分自身に対して「如何なものか?」と反省しております。
今回の場合は、幸いにも今まで何度も仕事をさせて頂いた事があったので、お断りした後に仕事地内容を勘違いしていると気付かせてもらったから良いようなものの、これが初めてお客様であったり、まだ信頼関係も無いお客様であった場合はきっと「二度と仕事を頼むものか!」となっていたと思います。
本当に反省しても仕切れないです。
もし私に上司がいたら、きっと「バカ野郎!何でしっかりと打合せをしないんだ!しかもまず断りから入るとはどういう事だ!仕事とは何かもう一度一から考え直せ!」と叱られている事と思います。
すみません。
そして、「でも言い訳になりますが、お客様が遠方にいるので電話で三分くらいしか話せず、しっかりと打合せをする様な感じではなかったのです」ときっと言い訳をしていた事でしょう・・・。
そしてまた上司に「言い訳する暇があったらその分反省しろ!アホかお前は!」ともっと叱られていた事でしょう。
いやー本当に上司がいないにも関わらず、この様な基本的な事も出来ずにいて恥ずかしいです。
という事で、今回の反省点を考えます。
・仕事内容をしっかりと理解しなかった。
・こちらで仕事内容を思い込んで見積りした。
・お客様への連絡が断りから入った。
大きく分けて三点です。
まず今後は今回の反省点を踏まえまして、
・お客様としっかりと仕事内容についての打合せをさせて頂く。
・思い込みをせず「そんな倍の予算が必要な仕事の話をする筈が無い」と考えをひとつ深くする。
・お客様へ連絡する際は、再度仕事内容の確認をしながら「この仕事でこれ位の金額になりますので、この予算ではこの分の足が出てしますます。」と見積りの内訳について説明する。その上でこちらの希望金額を話し、お客様と合意できる形にする。
です。(すべて営業マンとしてするべき当然の事ですが・・・。)
何にせよ、今回の件で「もしかしたら今までにもこちらの勝手な思い込みにより仕事を無くしていた事があるのかもしれない」と怖くなりました。
ただ本当に本当の話ですが、今まで繁盛屋で金額が合わないと言ってお断りした事は一度もありません。
しかし、もしかしたら勘違いや思い込みによって、とても考えられない位の高い御見積りを提出し、それによってお客様に「繁盛屋は高すぎる!ぼったくりだ!あんなところに頼めるか!」と思われたことはあるかもしれません。
そう考えますと今回の件は「実績」という支えがありましたので何とか結果的には良くなりましたが(なりそうですが)、これからは「必ずしも支えがある訳ではない」という事をしっかりと頭に叩き込み、それを基本にした上で、仕事に何よりも大切な「よく人の話しを聞く」という事をして行きます。
もし今まで勘違いによりご迷惑をお掛けしたお客様がいらっしゃいましたら、心よりお詫び申し上げます。
本当にすみませんでした。
追伸
お詫び続きで申し訳ありませんが、明日から出張のため次の繁盛日記は5月17日(月)とさせて頂きます。

■[第223回] 拠 点 −H16.5.12(水)−

突然ですが、今月の2日に東京に繁盛屋として宿泊施設を借りました。
これは事務所という訳でも、出張所にするという訳でもなく、ただ単に宿泊場所として借りました。
理由は東京出張が多くなってきた為で、毎回ホテルに泊まる経費もバカにならないですし、それとそういった拠点がある事によって今まで以上に「気楽に出張出来るかな?」という感じですね。
それに「繁盛屋の場所がある」と思うと、本当に何となくではありますが東京でも仕事を増やしていける基礎が出来た様な気もしますね。えへへへ。
後は「おまけ」みたいなものですが、社員が「東京見物」に行くだの何だのの時には、わざわざホテルを取らずに済みますので、その点でも良いかな?これが福利厚生というやつですね!がはははは。
ちなみに場所は品川駅近くで、どこに動くにしても便利だと思います。(多分)
今週の金曜日にまた花の都へリュックを背負って、おにぎりをほお張りながら上京ですので宿泊する予定です。
さて、その宿泊施設と関連している様な、まったくしていない様な微妙な感じなのですが、その賃貸契約を結びに行った際に、ついでだからと以前から興味のあった29階建てマンションを見に行きました。
アポなしだったにも関わらず、営業マンが親切に案内してくれました。
最初は4階、そしてその後に29階の部屋も見させて頂きました。
私はてっきり29階なんて言うとべらぼうに高さを感じさせるのかと思っていたのですが、あまり感じませんでした。
(私は高所恐怖症なのですがまったく何ともなく見学出来ました)
伝わるかどうか分かりませんが、イメージとしては窓から見える風景が「この部屋は高い場所にあるのかな?」と思う程度です。
私はてっきり「うわーーー高いーーー!!」と感じるのかと思ったのですが、まったくそんな事はありませんでした。
理由としては、窓のあった方向が都心方向じゃなかったので高層ビルも海も見えず、住宅街が見えただけだった。
ベランダから地面が見えない。(軒が出ていて下を見ても屋根みたいなのしか見えない)
マンションは隣に建物が無いならばあまり階数は関係無いのでしょうかねえ?
多分、多分ですが、29階の部屋から見える景色も、20階から見える景色も大して変わらず、もしかしたら15階でもそんなに変わらないものなのかも知れません。
(立地や風景によっては違うかもしれませんが、今回のマンションはそうでした。)
まあ実際に購入するだの何だのになると感覚は変わるのかも知れませんがね。
それにしても、早く営業マンが本気になる様な風格を持ちたいものです。
やっぱり高級マンション見学に「マルヤマ草履」ではダメですよね・・・。

■[第222回] 売上と利益 −H16.5.11(火)−

本日なかなか大きめのお仕事のお話を頂きました。
そして売上目標と利益目標の間で揺れ動いた一日になりました。
お客様より、はじめに仕事の依頼内容について聞きまして「これは結構な仕事量になるな」と思いました。
そしてその後に今回の仕事の予算を聞きました。
金額的には結構大きな予算になるのですが、ただ問題はその金額ではどう考えても、どう頑張っても合わないのです。
例えて言うならば、10万円の予算があったとしても、原価で最低でも15万円掛かるという様な感じです。(当然その仕事を請けた場合は5万円の赤字となります。)
今回の場合はもっと予算が大きく取られており、繁盛屋としては「売上」が欲しいため「是非やりたい、無理をしてでもやりたい」という気持ちなのですが、ビジネスとして考えた時(当然ですが)「売上」よりも欲しいのは「利益」です。
どんなに大きな仕事だったとしても、どんなに売上額が大きいといっても、多少の赤字程度ではとても収まらない場合はビジネスとして請ける訳にはいきません。
繁盛屋としての今年度の売上目標達成のために、喉から手が出るほど欲しい売上額だったとしても、利益目標があるため喉から出た手を噛み切らなくてはなりません。
少し話は変わりますが、「売上」だけはべらぼうに多くて赤字が多い会社があります。
あれはどういう事なのでしょうかねえ?
設備投資でたまたま今期が赤字というなら私でも理解できます。
また、今期だけは仕事がうまくいかず赤字というのも理解できます。
しかし「売上額」は多いのに、毎年赤字の会社というのがよく分かりません。
これは売上げがあればその会社を通るお金が多いので、銀行などが融資をしてくれるという事なのでしょうか?
また、運転資金がうまく流れるからという事なのでしょうか?
それとも、何か大きな資本があり何年後かの黒字転換を狙っているという事なのでしょうか?
極端な話で恐縮ですが、繁盛屋を年商1000億の会社にしたいとします。
この時に原価が1001億の仕事を1000億で受ければ目標は達成出来ます。
売上高は1000億円。利益は▲1億円。
何だか一千億も売上げがあれば一億くらいの赤字は許せそうな気がします。
まあ問題は赤字一億円をどうするのか?という事ですが、毎年コンスタントに1000億の仕事をしていればどこかから調達出来そう気もします・・・。
そう考えると繁盛屋の売上目標を100兆円にしても無理な話じゃ・・・いや無理だな。がはははは。
さて、話が大分ずれましたので戻します。
今回の話は本当に残念ですが、繁盛屋を頼りにして頂いているお客様のためにも(いるのか?という突っ込みは不要です)、会社を心の支えにしている社員のためにも(こちらも突っ込みは不要です)、諦めます。
売上高がどんなに増えても大赤字では意味が無いですからねえ。
せめて予算が倍あったらなあ・・・。

■[第221回] JR東海 −H16.5.10(月)−

さて、政策センターのもう一つの講演です。
講師はJR東海の葛西敬之社長でした。
この講演が先にあったのですが、最初は「JR東海の社長の講演が何故あるのだろうか?」と思ったのですが、始まったらとても面白い?というか勉強になりました。
私の拙い文章では誤解を招く恐れがありますので、ここではあまり細かく書けませんが、
鉄道は日本というか国にとってとても重要なものだと分かりました。
また、簡単に外国に新幹線やその技術を売る訳にはいかないというのが分かりました。
結局、技術だけ販売しても、また新幹線だけ販売してもうまくいかない。
技術の場合はそれの活かし方、新幹線の場合は鉄道などのインフラ整備まで考えなくては、必ず問題が発生し国益を損なう結果になってしまう。
例えば、外国に新幹線だけを販売したとします。
インフラ整備(線路・駅など)はその外国が行う。
そして実際に新幹線を販売し走らせたとしても、線路や駅などと車両自体がうまく組み合わないと大変な事になる。
(実際に韓国に販売したフランスのTGVは問題が発生したそうです。)
日本の様に外国に対して非常に弱腰の国は、もし新幹線を外国に販売し、問題が発生したら正々堂々と販売した側の意見も言えず、きっとただ単に這い蹲るだけになってしまう。
「インフラ整備を伴わない新幹線の販売」は現在の日本の国際政治力から考えてみても、決してしてはならないとの事でした。
私はてっきり「インフラ整備もした方が儲かるから」という単純な理由だと思っていましたが、そんな軽いレベルの話ではないのですね。
現在、中国に工場を日本企業はどんどん移していますが、「対等の国」としての付き合いが出来ないうちは仕事の取引をするというのは怖い事だと思いますね。
やはり日本のビジネスマンが海外でも仕事が堂々と出来るように、日本は国としてビシッと頑張っていかないとダメですね。
※その他にも色々内容はあったのですが、とりあえず一つ二つ書きますと、
・経営者は軍隊の指揮官と同じ。
・リニアモーターカーは技術的に完成している。
・道路公団の民営化の方法はJRの方法を真似してはいけない。
などでした。
ちなみに「では何故、リニアモーターカーが走っていないのか?」という疑問に対しての答えは上記に出てくるインフラ整備の問題です。(多分)
まあ、線路をすべてリニアモーターカー仕様に交換なんて言ったら、どれだけ経費が掛かるか分からないですものねえ。

■[第220回] 語彙の多さ −H16.5.7(金)−

昨日書きました講演会の内容です。
(私の理解できた範囲、また理解したつもりの内容ですので、実際の内容とは違う可能性がありますのでご了承下さい。えへへへ)
[お茶ノ水女子大学 藤原正彦教授]の講演でした。
思考というのは言語が基本になります。
その根本が日本語です。
小学校から英語を教えるという話が出ているそうです。
また実際にすでにパソコン授業なんていうものがあります。
これは国際社会に通用する日本人を作るためだという事ですが、英語やパソコンを教えている暇があったら、首根っこを捕まえてでも小学生には日本語を、国語を教え無くてはならない。(鉄は熱い内に打て。であり、小学生なら力で押さえつけられますが、中学生になると反抗されると負けるかもしれないから・・・)
日本語を話せなければ外国語は話せません。
英語で日常会話をするというのは何年か留学していたり勉強していれば身に付きますが、思想を語る、日本を語るといった様な「語る」というのは、しっかりとした日本語を理解していなければ話す事は出来ません。
そして、国や学校が国語を疎かにしている事によって、近頃の若者というのは100〜200位の語彙しかなくなってしまいました。
この語彙が少ないというのが思考の少なさに繋がります。
例えば、「好き」と「嫌い」の二つしか語彙を知らない人間がいたとします。
その人には本当の恋愛は分かりません。
語彙を知ることが思想を増やす。
ではどうやって語彙を増やすのか。
それは「読書」です。
江戸時代の寺小屋は大事な事がよく分かっていました。
寺小屋において教える優先順位は
1,読み、2,書き、3,そろばん、でした。
漢字を知る、読書をする。
自ら本に手を伸ばす子を増やす。
読書離れは国を滅ぼす。
論理的思考という言葉が近頃流行りですが、この論理的思考というのは突き詰めると「黒か白」しかない。
しかし実際の世の中は「黒か白」はっきりしているというものは無く、灰色しかない。
この論理的、数学的思考というのは間違いであり、国語的思考を持たなくてはならない。
という様な内容でした。
どうです?とりあえずその場でメモした事を羅列してみましたが理解出来ますか?
まあ、私なりに解釈しますと、
「言葉を知らない人というのは思考範囲が狭い」
「近頃の若者は読書をしない、出来ないから言葉を知らない」
「小学校では英語、パソコンなどよりも国語教育に力を入れて読書を出来る子供を作る」
です。
この講演を聞いていてしばらく考えていた「答え」が出ました。
繁盛日記はやっぱり4〜5行にはしません。
それというのも、「短くて簡単に読める」というのは良いことではないなと思いました。
なので繁盛日記では真っ向から対立して変わらず長々書いてみようかと思います。がははは。

■[第219回] 大事と小事 −H16.5.6(木)−

5月1日に東京で開かれた「日本政策研究センター設立20周年記念講演会」という会に参加しました。
講演会が2つあったのですが、どちらも「ためになる話」でとても勉強になりました。(これは後日書きますね)
その懇親会の席で政治家をしている友人達に久し振りに会ったので、「実際に政治家をやってみてどうですか?」、「投票をしているかどうかも分からない人に有難うございますと言わなくてはならないのは辛くないですか?」、「それは人生の仕事として辛くないですか?」と聞きました。
その時に返って来たのがタイトルの言葉です。
自分の理想とする国を作るという「大事」がある。
そんな時に、明らかに投票していない人でも「有難うございます」と頭を下げる。
もしかしたらそれが切っ掛けで本当に投票してくれているかもしれない。
誰に投票しても構わないが選挙に行くかもしれない。
そんな気持ちでやっている。
だから実際はどうであれ、そんなものは大事の前の小事でしかない。
という話を聞いて何だか本当に目から鱗が落ちました。
自分に置き換えてみた時に、どこかで「小事」にこだわって、目の前にある仕事に全力投球していなかった事があるのではないか?
そして、政治家というものを「小事」を通して眺めていたのではないか?
そんな反省が湧いてきました。
本当に久し振りに政治家から学んだ珠玉の言でした。
私も「自分にとっての大事は何か?」というものをしっかりと認識し、何かあった際には「これは大事か?小事か?」という事を見極めて進んで行
こうと思います。
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